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「ホーキング 虚時間の宇宙」の63ページで「初めに言葉ありき」を旧約聖書と書いたが、早速、新約聖書のヨハネの福音書ではないか、というご指摘をいただいた。
まさにそのとおりである。
とりあえずカトリック教徒のはしくれなので、なんでそうなったか言い訳を書いておきたい。
そもそもヨハネの福音書の「言葉」は「ロゴス」だから単なる言葉ではないのだが、旧約聖書の創世記の冒頭の部分の「光あれ」と神が「言う」ところと呼応している。ちがう解釈もあるかと思うが、それが私が教わった意味だった。
つまり、創世記の文句は、新約聖書において、すでに解釈が加えられているわけだ。
うーん、注釈を入れるとか「旧約聖書」を「聖書」とする手もあるが、そもそも宇宙の始まりと創世記が念頭にあるので・・・ここは、どうするか、ちょっと考えさせてくれ!
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