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信徒総会

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年 7月19日(水)10時11分3秒
返信・引用
  これまでの皆さんの書き込みを見ていますと、天理教には信徒総会という決議機関は存在しないように思いますが、信徒の総意が持つ意味は絶大です。今回の東京都都議選の結果が如実に示しています。議会で威張っていても都民の総意は違っていたのですから。
宗教法人も総会を持つべきです。宗教法人と言えども信者が居なければ意味がありません。
教団本部はこのような実に簡単なことが何故分かっていないのか。その理由は何もかもが上から目線に集約しているからではないでしょうか。
総会の成立要件や議事録の要領については過去に書き込みましたので参考にしていただければと思います。
何れにしまして、本部の大祭時等に、すでに存在しない教会名称の提灯がぶら下がっているのを見ると、滑稽を通り越して哀れを覚えます。なんてくだらないことをしているんだろうと。
提灯がぶら下げてある箇所は、各詰所あるいは境内係に聞けば分かります。秋の大祭には5ヵ月ぶりに知人を尋ね、ついでに何か所かの提灯を見てこようっと思っているんです。これって一寸意地悪かな。
 
 

道さまへ

 投稿者:終活教会  投稿日:2017年 7月18日(火)17時22分59秒
返信・引用
  道さま、投稿の皆さまへ
ご推察の通りです。末端弱小教会としては生き残りではなく終活の道を選びました。
しかしながら、不動産は「お返し」するのでなく気持ち的には「くれてやる!」です。

私の思いを少し語らせていただきます。
二代会長だった父親が他界して、母親が三代目会長になった時、長男として親を支えることにしました。少しは教会運営も勉強しようと前向きに天理教関係の書籍を読んだのですが、「布教の手引き」昭和57年天理教青年会発行を読んで背筋が凍るような恐ろしさと嫌悪感を抱きました。
いわゆる営業マニュアル、Q&Aなのですが、天理教から精神的な距離を置いていた私のとって異常な勧誘虎の巻でした。とりわけ、「身上の理」で解説されている病気や怪我の理由には<腫瘍:欲でつっぱり溜め込む理>、<骨折:恩を忘れ強情を張り通すため衝突する理>など、開いた口が塞がりませんでした。宗教なので本気で理解して実践する布教師がいても不思議ではないと思いました。
また「個別訪問とその実際」では天理教が嫌われている、嫌いな人がたくさんいることを認めつつ、あの手この手と入り込む術が書かれていました。P274「教理の問答」では、つくし、理立てをハッキリと金銭のお供えとして、心→形→金銭と解説して親神様が受け取ってくださる心つくしを説いてます。更に“親神様の特別の守護をお願いするに際して、「値をもって実を買うのや」といわれているように、誠真実の心を添えて金銭をお供えするのが理立てです。”ともあり、金銭が無い人はお願いさえも出来ない宗教なのだ、と明記されていました。
こんな宗教に関わっていたら詐欺師やな、遅かれ早かれこんな布教マニュアルを出している天理教は衰退、消滅するはずだ、と当時思い距離を置き今に至ります。加えて、教団の集金組織やシステムのビジネスモデル<欲にまみれた泥水>で私たち末端教会やその信者さん達は年貢を搾取されるばかりで〝陽気ぐらし゛とは真逆の生活を送り続けていることで経済的にも精神的にも限界になり、このままズルズルしても明るい未来はない、悪縁を断ち切ろうと決めました。

念のため、私は親神様、教祖様の教えを否定しておりません。
親神様や教理を自分達の利益や地位、権力のために利用して築いてきた教団本部と連合艦隊の直轄教会が見本となって教祖様の道を辿り、「貧に落ち切り陽気ぐらしを実践」してもらいたいのです。そのためには、末端教会が絶縁することが道だと思うのです。

幸いにも教会に生まれ育ったので、良い面(表面上かもしれませんが)での天理教の道徳観や価値観は浸み込んでいると思っています。これを私自身の糧として、悪しきビジネスモデル教会を終活させたいと考えております。教団、上級に逆らい挑む気力を使うのももったいないので、悪縁を断ち切りたいだけです。
やりきれない気持ちをダラダラと書いてしまいました。
お気を悪くされたら追い込まれた末端の独り言とご容赦ください。
 

(無題)

 投稿者:中山二木  投稿日:2017年 7月18日(火)16時22分33秒
返信・引用
  屋敷をはらうて 田捨てたまへ
天理翁の皇子人

ちょとはなし 民の言ふこと聞いてくれ
あしきなほんぶにゃ いわんでな
このよの 地位と権とを奪わうて
夫婦をこきつかい 叱るべよ
これはこの世の恥ずべだし

屋敷もはらうて 他捨て咳込む
質召す巣立ちて乾燥剤
 

天理教における宗教法人教会の話

 投稿者:睦輝  投稿日:2017年 7月18日(火)13時43分19秒
返信・引用
  小規模宗教法人の運営管理について
http://religiouslaw.org/cgi/search/pdf/198606.pdf
1986年、天理教宗教法人課長の話。
三代真柱の時代ですね。

10年間で510ヶ所も新設教会が出来ていた事に驚きました。
1976~1986年の10年でしょうか。
まだまだ教勢があった頃になるのでしょう。

しかし、教会名称の変更が同じ10年間で450件。
そのほとんどが後継者不在となった事情教会で、本部や上級から会長派遣しての「再出発にあたり改称」したとの事。

新設教会と再出発教会の数、100くらいしか差がありません。
今なら数値逆転どころでは無いのでしょうね。
 

皆様へ

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年 7月18日(火)09時08分1秒
返信・引用
  本当に難しい問題を抱え込んでしまったのですね。
一度、憲法を始め宗教法人法その他関連法令と天理教教規、細部は各教会の規定、いわゆる教会規定との整合性について議論を広められばと思うのですが、先立つ教会規定がサッパリつかめません。
天理教教規や教会規定がどのようなプロセスを経て制定されたのか、知る由もありません。
僧祖父母の代からの信者でしたが、教会規定があることも知らず、ましてや見たこともありません。
全くもって教団側の言いなり状態だったわけです。これ一つをとってもいかに恐ろしい宗教だったかが分かりました。
私が所属していた団体では、会の定款を始め関係する法令を一纏めにして全社員(法律上、会員を社員と言います)に配布して、法令等に改編があった場合は年に一回の研修の場にいおいて説明をしていました。
教団にはそのような姿勢は一切無かったのですね。教祖の教えに反して、いざという折は教規を振りかざす姿に宗教は感じられません。
とにかく、宗教法人の設立から解散に至るまでの詳細な手順を説明した文書を全教会に配布するくらいの親切心があればいいのですが、そのような気配は微塵も感じられません。

そりゃあそうでしょう。教会名称は末代の理なんて言っているんですから。思わず、口を突いて出たことばです。
 

皆様の投稿を読んで思うこと

 投稿者:  投稿日:2017年 7月17日(月)14時29分39秒
返信・引用
  終活教会様 末端教会役員様 東風Z様 そのほかの皆様

末端教会役員様の「みかぐらうた研究」のブログを読ませていただいています。教会本部、大教会、上級教会を相手に大変勇気ある行動には感嘆と拍手を惜しみません。現在進行形で進めておられる「被包括関係の解消」の動向には、すべての教会関係者が固唾を呑んで見守っていることと拝察いたします。

その一方で、終活教会様の現状はまたご事情が異なるように思います。教祖様の思いに近づける教会に「復元」していこうにも、もはや矢も折れ力も尽きておられます。文字通り教会の終活をはかることで、再度、既存の教会制度とは別のところで、また別のかたちで信仰を養っていこうとされているようにお見受けいたしました。そのためには、教会不動産も「お返し」してよいというところまで、お考えになられているのでは…とも思われます(間違えていましたらお許しください)。

しかし、いずれにしましても教規や法規の問題をクリアしないことには、何とも言えないです。東風Z様のご指摘通り、「末端教会を宗教法人にしたことが迂闊と言えば迂闊だった」とのいうのはその通りですが、いまさら宗教法人になってしまっている現実を否認することは不可能です。私が主張したかったのは、日本が法治国家であるゆえに、どこまでも基本的人権を盾として身を守る線を崩すことなく、法規から教規へと批判を仕向けていくことで、打開策がはかれるのではないかと言うことです。教規は法規に乗っ取って制定されているとはいえ、天理教内部のローカルルールに過ぎないものです。その一方で、末端教会の教会家族の生活保障は、日本国憲法に保障された、人間としての基本的人権の砦となるものです。

教会本部は本当に罪作りです。事情教会がこれだけ増えているのに、しかもその教会を畳もうにも畳めない状況をどう考えているのでしょうか。陽気ぐらしどころか、みんな蔭で泣いている陰気ぐらしが、今の天理教です。
 

末端教会役員 様

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年 7月17日(月)09時47分56秒
返信・引用
  このような上級教会始め大教会更には教団本部にとって非常に都合の良い教規を知らずに、末端教会が宗教法人にしたことが迂闊と言えば迂闊だったのです。
上級始め上の教会教団は、法人にする事ばかり勧めて、いざ法人を廃止す時の手順等は一切言いません。
このような教団にとって甘い罠を仕掛けておいたのです。今後、規模の大きな教会ならいざ知らず、規模の小さい教会を設立しようとするならば、デメリットを十分に知る必要があります。

天理教の言う、ひのきしんという言葉には魔力が隠されています。確かに感謝の気持ちを奉仕という形で現すことは、素晴らしいことですが、これが嵩じて、恩を忘れるなとなり、お金をお供えしなければ命が無くなる、と脅迫にも等しい教えに転嫁してしまったのです。

末端教会の方で教団本部を相手に裁判をしようという方がおられれば、支援する組織を作って応援するのも一つの手立てはないでしょうか、お供えに出すより余程有効な使い道だと思うのですが、どなたか音頭を執る方が現れないのでしょうか。
 

道 さま

 投稿者:末端教会役員  投稿日:2017年 7月16日(日)19時09分11秒
返信・引用
  >責任担当役員が身内(親)であれば、こちら側の裁量で宗教法人としての教会を解散することがじゅうぶん可能かと思います。

私の教会の規則第二十九条に、
「この法人が解散しようとするときは、責任役員全員及び天理教〇〇大教会代表役員の同意を得て、天理教代表役員の承認及び〇〇知事の認證を受けなければならない。」
とあります。
他の方が調べられた宗教法人法と矛盾するとご指摘の方もいらっしゃると思いますが、例えるなら、宗教法人法は日本全体の宗教法人に適用する基本的ルールで、上記教会規則は天理教団の中の地方ルールのようなものです。
どちらを優先すべきかという議論は、一方(我々)が議論しても仕方がないことで、現実に問題が発生した場合に「裁判」という形になる可能性が高いです。実際の裁判など、末端の力のない教会では費用も手間も時間も負担できるものではありません。

教会規則ではあらゆる事に「大教会長の同意を得て・・・」とあるわけですが、その中で唯一、同意を得ずにその教会独自の判断(責任役員会の決議)で実行できるのが「被包括関係廃止の規則変更」なのです。
(過去の裁判事例により、教会独自で決定できなければ不公平すぎるから、宗教法人法がそのように改正されたのです)

勿論、私のブログに記載しているように、いきなり被包括関係廃止手続きを実行すれば、上級や大教会からの仕打ちや圧力、妨害や引き抜き等、トラブルや問題も発生するので、一概に「被包括関係廃止手続きをするべきだ」とは言えません。
ただ、上級や大教会に「相談」や「申請」をしても、上にとって都合の悪いことは取り合ってもらえない、神様や信仰心を理由にして否定されるのは、多くの方が経験されてきた中で簡単に予想できるのではないでしょうか?
解散やらの相談や申請をし続ければ、疎んじられ、そのまま会長罷免ということも十分ありえます。
仮に解散が認められたとしても、教会規則には、解散した教会の残余財産(不動産や預貯金等)は、宗教法人天理教に帰属する、という一文があります。

教会(宗教法人)を解散しても、不動産をそのまま本部に取り上げられるのでは意味がありません。この部分の規則変更を何が何でもするべきなのですが、これも「被包括関係廃止手続き」と同時でなければ出来ない(この部分の規則変更だけを認めてもらおうとしても、大教会も本部も認めない)わけです。

言い方は悪いかもしれませんが、何かを守りたい、手に入れたいと思うなら、それ相応の対応や戦いを覚悟しなければなりません。何もしないということは、相手や周囲の都合のいいような形を全て受け入れる事だと言えます。


 

すごいですね...

 投稿者:たろう  投稿日:2017年 7月16日(日)17時33分39秒
返信・引用
  天理教上層部の人は他人がかき集めたお金で身内の結婚式をやるんですか?
すごい宗教ですね。
 

道さまへ

 投稿者:終活教会  投稿日:2017年 7月16日(日)16時55分49秒
返信・引用
  道さま、何かとご心配いただき深く感謝いたします。
これ以上傷口を広げないようにして出血(お供え)を止めることが最優先です。

ご指摘の通り、日本国憲法では、
<第三章 国民の権利及び義務>
第十三条    すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十八条    何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第二十条    信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2   何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
とあります。

教会に生まれた身には権利や自由もなく、たぶん天理教では日本国憲法は通用しないんだと思ってきました。
ゆえに、裁判沙汰になった場合、本当に法律が守ってくれるのか?不安でなりません。
このような思考も洗脳されているのかもしれませんね。
真に、法治国家として日本国憲法>天理教規則であることを願っています。

教会引き継ぎについては、おそらく、わずかなお供えの年金生活/高齢信者3名程度の末端事情教会へ上級・大教会から天下る教会長はいないでしょう。

引っ越しについては、教会老朽化のために数年後には普請余儀ない可能性が高く、住み続けるつもりはありません。何より教会には普請費用の備えはありませんし、終活に向けて普請するのもアホらしいように思います。せめて、個人の自宅だけは引っ越して生活不安を軽減し、法人活動として月次祭だけを細々と継続しながら終活を推進したいと考えています。
不在時のセキュリティ対策が課題ですが…

とにかく、一人では心細い限りですので、皆さまからご助言いただきながらベストな着地ができるように取り組みます。

 

終活教会様 皆様

 投稿者:  投稿日:2017年 7月16日(日)13時52分1秒
返信・引用
  終活教会様 匿名様 東風Z様 そのほかの皆様方

教会不動産が個人の所有ではなく、宗教法人の所有としたとき、その宗教法人が自教会であり、責任担当役員が身内(親)であれば、こちら側の裁量で宗教法人としての教会を解散することがじゅうぶん可能かと思います。問題なのは自分の教会=宗教法人が上級教会や大教会に所属する形になっていることですが、このケースはあまりないのではないでしょうか。

重要なことは、代々この教会=宗教法人を自分たち教会家族が維持運営してきたという揺るがぬ事実です。毎月の月次祭を執行するのも大変だし、ときに神殿改築にもお金がかかったでしょう。その教会を守ってきたのは上級でも大教会でもなく、他ならぬ自分たちであったということが肝心なのです。いわば、家族を担保にして、多大な負担や犠牲を払いながら、今日まで維持運営してきたのが当教会だったのです。ここにおいては、たとえ宗教法人格を解消しても、代々そこに住んできた人にとっては生存権、居住権が発生しています。これらの基本的人権は保障されなければなりません。

天理教の教規よりも優位に立つのは日本国の法律(宗教法人法)であり、さらに日本の法律はすべて日本国憲法に沿う形で運用されるものです。教規と法律が矛盾したとき、当然、法律のほうが優先されます。教規はしょせん内部規程ですから。それゆえ万が一、上級教会が追い出しにかかったとしても、裁判に訴えてでもこちらの生存権、居住権を主張していけば、そう無茶なことにはならないでしょう。いずれそこを出なければならないにしても、今までの経緯を斟酌してある程度の猶予を与えられるはずです。性善説に立っていると言われるかもしれませんが、そう思います。それにたとえ、追い出しといっても、近所の人たちがそういう修羅場を目撃したら、天理教に対してきびしい非難の眼差しを向け、最悪のにおいがけになるわけですから、そんな手荒なことは行われないと思います。

難しいのは終活教会様が教会を離れたとき、その教会が空き家になる可能性があると指摘されていたところです。大教会や上級教会の次男・三男・四男坊クラスが事情教会を引き継いだという話は私の身の回りでも聞きます(だから天理教は子だくさんなのでしょうか。でも同じ直属教会に同じ苗字の教会長がたくさんいるのも気持ち悪い話です)。そうやって、完全に後の教会は大教会や上級教会に委ねることが決断できればそれでよいですが、かんじんの大教会、上級教会にもはやその力が無くなったとすれば、高齢のお母様の会長様や信者様がご存命の内はとにかくそこに住みつづけ、そうした方々が出直されたときに初めて引っ越しを考えてもよいかと思います。

しかし、いずれにしましても先立つものはお金です。大切な大切な貯金です。お金はお供えすれば徳を積むという偽教理からはキッパリと足を洗い、自分たちの幸せと命のために大切に使うことで、お金は真に生きてきます。親神様も教祖様も、そのようなお金の使い方を正しいと評価してくださいます。
 

匿名様

 投稿者:古い教会長  投稿日:2017年 7月16日(日)08時20分54秒
返信・引用
  >弔意って強制されるものとは  ちーがーうーだーろぉぉぉっ!!
立場が上の者には絶対服従。
天理村はつくづくリトル北〇鮮だなと思いましたよ。

もう、麻痺してしまっていて、おかしいと気づかなくなっています。それが洗脳です。
断るという選択肢はありません。普通の感覚ではないのです。
「道と世間は裏腹」と言う言葉で非常識を押し付けられるのです。

100年祭の頃に比べると、今は大分ゆるくなって来ています。
当時はもっと、ひどいお供えの要請がありました。
 

お供えの要請っておかしいですよね

 投稿者:匿名  投稿日:2017年 7月15日(土)21時56分25秒
返信・引用
  >本部からかどうか分かりませんが、大教会から要請がありました。

本部からの要請はなく、古い教会長さんの大教会からの要請だとすると、
その大教会長自身の見栄とメンツのために、いいように集金権力をふりかざしたのでしょう。

だいたい天理教はおかしいことが多すぎる。
昔聞いた話ですが、教校生(専修科、本科、昔あった第二専修科など)は
全生徒がまったく縁もゆかりもない本部員達の葬儀があるたびに、参列あたま数要員として、
授業があろうが夏休みであろうが駆り出されて、(授業がある場合は休講)
生徒本人の意思を無視して強制参加させられていたそうです。(本当の話)

弔意って強制されるものとは  ちーがーうーだーろぉぉぉっ!!

立場が上の者には絶対服従。
天理村はつくづくリトル北〇鮮だなと思いましたよ。

 

本部からお祝い金の要請

 投稿者:古い教会長  投稿日:2017年 7月15日(土)20時54分47秒
返信・引用
  >ダイスケ氏の結婚にあたり、本部からお祝い金の要請が各大教会へあったというのは本当のことですか?

本部からかどうか分かりませんが、大教会から要請がありました。

二代真柱の50年祭のお供えの要請もありました。
 

(無題)

 投稿者:一信者  投稿日:2017年 7月15日(土)17時00分10秒
返信・引用
  このような直截的な質問は失礼かとも思いますが、一般信者は知りえないことなので、この場で質問させていただきます。

ダイスケ氏の結婚にあたり、本部からお祝い金の要請が各大教会へあったというのは本当のことですか?

噂ではなく、一次情報をお願いします。

もしも本当に本部がそのような金集めの号令をだしていたとしたら?
親類縁者が式に呼ばれ、食事や引き出物に相当する額をご祝儀として包むのとは訳が違ってきます。

親神様、教祖様、まさかとは存じますが、この一点、譲れない過ちかと存じます。
真偽いかんによっては信者の心がイズミます。

まさか、まさか、まさか?


 

終活教会 様

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年 7月15日(土)10時21分19秒
返信・引用
  少しはお役に立てたでしょうか。他の方もいろいろとアドバイスを下さっているので心強いですね。
社会学研究所欄にも投稿しておきましたので、ご参考になさってください。私は中規模の公益法人の解散から清算に至る事務を清算人としてではなく、事務員としてかかわってきた経験を持っています。ご参考になることがあるかとも思いますので、疑問点がありましたら、この欄へご投稿下さればブログ主さんも認めてくださると勝手に思っております。すみません。

法人は、解散しただけでは駄目です。
先ず、解散をした時点で15日以内に地方法務局に解散の登記を行います。
次に、清算人を選任して、清算人の登記を行います。その際に、清算人の印鑑登録も必要になります。清算人は解散の信徒総会の折に清算人になる人を決めておかれると良いと思います。通常は役員が清算人を務める場合が多いです。
次に、清算事務が終了して残余財産がプラスマイナス0になって時点で、清算結了の登記を地方法務局に登記することによってすべてが終了します。
清算結了の登記が終われば、念のため清算結了が記載されている登記簿謄本を少なくとも2通の交付を受けて大切に保管してください。

その他、解散をした時点で、当教会が解散した旨と当教会に債権のある方は2ヵ月以内に申し出てください等を記した公告を官報に公告することになりますが、費用も8万円前後が必要になりますので、この公告が必要なのか、都道府県の担当部署に相談されては如何でしょう。
なお、公告文のサンプルはネットで調べてください。
立つ鳥跡を汚さずといわれていますが、最後までキチッとされておかれる方が、後々の心配がなくなりますね。
 

道さまへ

 投稿者:終活教会  投稿日:2017年 7月14日(金)23時28分0秒
返信・引用
  道さま
ご助言ありがとうございます。
確かにおっしゃるように何もしなくても自然消滅していくと思いますが、それまで老朽化した自宅兼教会に住み続けるわけにもいきません。
心配な点は、老朽化で私ども家族が引っ越した場合、万一、空き家状態の教会が放火や事件に巻き込まれると社会的にも重大な管理責任が発生します。
正直なところ、教会不動産を教団や上級に取り上げられるのは悔しいですが、その責任やリスクからも早く逃れたいと教会を手放す選択肢もあります。

会長である母親は87歳、幸いボケていませんが老い先の時間は少なく、会長しかできない手続きもありますので3年を目標に取組みたいと考えているところです。
高齢の信者さん達には事情を理解いただきご自身の信仰についても形よりも心が重要とし、ご自宅の祭壇で親神様には感謝出来るからと賛同いただいています。

上級にはまだ相談しておりません。皆さまからのご助言や情報を参考にして、当教会の環境、条件を基に慎重にベストな方法を見つけたいと思います。
 

道 様

 投稿者:匿名  投稿日:2017年 7月14日(金)22時41分11秒
返信・引用
  >末端弱小教会の息子様の教会のご様子は察するにあまりあります。もはや、上級へのお供えにわずかな蓄えを持っていってはなりません。お金を使うとすれば、お母様の会長様の介護に、3人の高齢信者のお世話取りにお使いになってください。そのほうが親神様・教祖様はおよろこびになります。

 道様の言われる通りと思います。ご自分達の生活を一番に大切になさってください。終活教会 様のお母様は、今までご苦労下されたと思います。お母様のお世話をすることを一番に考えてさしあげてください。

 しかし、道様にお伺いしたいのですが。終活教会様の教会の不動産名義は、就活教会様の個人名義ではなく、「宗教法人」になっているそうです。 道様が書かれているように、自然消滅するままに、天理教団本部は、追い出したりせず、放っておいてくれるのでしょうか? それなら、「宗教法人法」と「天理教教規」と、双方、首っ引きで見比べたりしなくてもいいのですが・・。
 社会学研究所さんの方では、「両統領による宗教法人大教会乗っ取り事件」が、騒がれております。また、今は元のブログが、消されてしまったようで、見つかりませんでしたが、同じように、教団から乗っ取り被害に遭われた方のブログの記述が載せられておりました。以下です、
「巨大なピラミッド型の天理教組織。その下部の一隅に位置する小さな教会の長(宗教法人法では代表役員という)を、戦前戦後を通じて40数年間必死に務めてきた父。その父が死去した際のことでした。
教団組織の上層部から、現住する教会(敷地)からの〇〇家の立ち退きを、突然に命令されたのです。本来はその地で長の任に当たって生活してきた父母の長男、私の兄が後継者となることは、教団内では衆知の事実となっていたのです。そこで教会関係者一同の嘆願書などをたずさえて、何回も請願に伺ったのですが、全く聞き入れて頂けなく、みな絶望のどん底に落とされてしまったのです。」
 この方は裁判を起こし、4年がかりで、ようやく示談に持ち込めたようですが、今は教団とは縁を切られたようです。
 これらの事実を読んでは、教団に対して疑心暗鬼にならざるを得ません。教団の期待に沿えない状態でいては、いつ追い出されるか分かったものではない、という不安を感じてしまいます。
 道様は、お供えはしなくても、教会として活動はしなくても、追い出されることまでは無いから、放っておいて良いと、そのようにお考えでしょうか?
 

(無題)

 投稿者:匿名教会  投稿日:2017年 7月14日(金)18時35分44秒
返信・引用
  当教会も自然消滅を望んでいる末端宗教法人です。終活教会様と同様に高齢信者さん数名。親族に後継希望者はいないので、私が死んだ後は名称録に名前を載せただけの「不活動、幽霊教会」になるのでしょう。上級の家無し息子の一人が喜び勇んで入り込んで来るでしょうが。(下からの支え、全面的に人のお金で生きてきた上級一家。家を建てる苦労など知らないでしょうから、都合よく家が手に入りますよ。)

しかしいずれ信者ゼロ、教会長1名の不活動教会でも、名称の教会に居住している以上、年会費、積立金、その他諸々の上納金はついて回ります。わずかな年金の中から生きてる限り支払い続けないといけません。実態に合わせた「親心」と言うものはこの組織にはありませんから死ぬまで貧困です。

我が教会と言い、終活教会様の教会と言い、ピラミッドの底辺に位置する教会の多くは、人間として最低限の「自由に生きる権利・豊かに生きる権利」を奪われています。

ちょっとでも窮状を訴えようものなら上級、大教会会長婦人などは「貧しいのはおやさまのひながた。結構なことではないか。それが何か問題でもあるのか?」と言うスタンスで全くの他人事です。

多くの弱小教会は惨めな現状を上にあらがうことも出来ず、教団に羽をちぎられたまま洗脳状態の中「無理やり喜ばされて」年を取り死んでいくのです。

天理教は憲法にも違反した罪深き宗教団体です。歪んだ教理で暴走しています。完全に復元し、新生しない限り存在そのものがより多くの被害者を作り出します。貧困で苦しめられた末端教会で生きた経験から、声を大にして言います。


天理教が現在、消滅の途についているのは「神の計らい」です。陽気に豊かに暮らすはずのかわいい我が子たちが「教理にない上下関係」に苦しみ、「上に行くほど都合の良いシステム」の中で「貧困を強要」され、苦しむ姿はこれ以上見ていられない」と。

 

一信者 さま

 投稿者:末端教会役員  投稿日:2017年 7月14日(金)16時36分58秒
返信・引用
  ご丁寧な返信、有難うございます。
お詫びだの謝罪だのはやめて下さい。
一信者様を始め、多くの信者さんの素直な気持ち、感想なのだと実感しています。

そして、私自身、教会の家庭に生まれきた事は、父(会長)の信仰姿勢がどうあれ、組織側の人間としての立場と役割を背負わざるを得ないのだと自覚しています。組織の実態が教祖様の教えと乖離し、その隔てを誤魔化すような教理解釈や説法は私自身耐えられないモノがあります。
また、そんな中で矛盾だらけの教理解釈でしか講話の出来ない「会長さんとか先生と呼ばれる人達」こそ、経済的なことはともかく、心や精神的な部分で天理教の犠牲になった人達なのではないかとも思えます。
被包括関係廃止手続きの中で私が主張してきた「これが一列兄弟・世界ろくぢですか?」という問い掛けに、なんら答えも返事も出来ない上級や大教会の人達が憐れにも感じられてしまいます。彼らからすれば、今の生活の糧を失う事は出来ないのでしょうが、その事自体があさましくも思えます。

「かんろだいを囲んだつとめ」につきましては、今後ブログの記事にも記載する予定です。実際に眼に見て説明を受けた経験は大変貴重なことでしょう。出来るなら、実際に体験・参加される事を期待したいのですが、納得されないままで飛び込む事もよろしくないでしょう。
冷静に考え、じっくり思案されます事をお願いしたいと思います。

ポイントの一つは、ご祈祷や参拝、〇〇詣でのように、お賽銭を揚げて神様にお願いをする「つとめ」ではない、という事です。
 

東風Zさま

 投稿者:終活教会  投稿日:2017年 7月14日(金)10時31分44秒
返信・引用
  東風Zさま、アドバイスいただき感謝します。
教会設立で寄進した不動産とは言え、亡き祖父と亡き父が苦労して入手したのですから、教団や上級の生活を潤すことは納得できません。
とはいえ、法的手続きや税金の対策など大きな課題も多そうで素人には難しそうですね。
負けないように慎重に取り組みたいと思います。
これから必要な情報を集めて段取りや調整事項を検討します。
 

終活教会様へ

 投稿者:  投稿日:2017年 7月13日(木)16時37分25秒
返信・引用
  > 末端弱小教会の息子(介護離職で無職)です。
> 高齢の母親が会長ですが介護認定され施設に入居させました。
> 信者さんは高齢で3名しかおらず上級へのお供えにわずかな蓄えを切り崩していますが、もはや限界です。
> この際、教会を解散したいと考えています。

終活教会様の問題提起に多くの方が親身になって答えられています。しかし、皆さんはどうも難しく考えすぎているのではないでしょうか。宗教法人法や教会教規は行政文書上のことです。宗教活動が不可能になった段階で、解散手続き云々の前に、その教会は事実上、宗教組織であることを止めてしまっているのです。

今まで代々の家族とともに教会として務めてきたのですから、この教会を止めたからといって、すぐに土地建物を明け渡さなければならないというのでは、人道上大きな問題が発生する恐れがあります。日本国憲法で保障された生存権の侵害に抵触します。仮に大教会や上級教会が追い出しにかかるとすれば、今までその教会家族と接してきた地域の人達はそれを見てどう思うでしょうか。

多くの事情教会は、教会名称録に教会名だけを残して自然に消滅していっているのが現実なのです。その後で、法規や教規上の手続きも時間をかけて行われています。心配することはありません。月次祭ができなくなれば、お供えが上がらなければ、信者が高齢化していなくなれば、草花が冬に枯れてしぼんでいくように、自然に教会は消滅していきます。

人間にも寿命があるように組織にも寿命があります。それが天然自然の理ではないでしょうか。終末期で植物状態の患者にカンフル剤を打ち続けて延命をはかるのがむしろ残酷なように、丹精と称して事情教会に上級教会から役員を送り込んだり、人を使わせて月次祭を無理矢理つとめさせたりするのは、天然自然の流れを邪魔して、その教会関係者をいたずらに苦しませる残酷な仕打ちになるだけです。

ようぼく16名以上(うち教人5名)、信者若干名という教会設置基準を満たさず、10年以上経過し、将来満たす見込みのない教会は、むしろいったん出直させてあげたほうが、はるかに人道的です。教会より大事なのは人間です。

末端弱小教会の息子様の教会のご様子は察するにあまりあります。もはや、上級へのお供えにわずかな蓄えを持っていってはなりません。お金を使うとすれば、お母様の会長様の介護に、3人の高齢信者のお世話取りにお使いになってください。そのほうが親神様・教祖様はおよろこびになります。

それにしても、末端教会建物がどんなに経年劣化ぼろぼろになろうが、上級教会からは屋根瓦一枚分の支援も無し、そのくせ無慈悲にお供えばかりを取り立てる。こんな宗教組織がまともではないということを、世間の人達は見ています
 

末端教会子弟様へお詫び

 投稿者:一信者  投稿日:2017年 7月13日(木)16時25分12秒
返信・引用
  末端教会子弟様、お詫びします。
カッコ部分は決して末端教会子弟様が取り組んでいらっしゃる現在の改革を視野に入れての発言ではありません。配慮の足りない、舌足らずの書き込みでしたことをお詫び申し上げます。

「分教会の子弟が親に反抗して天理教を離れるのは勝手ですが、その際、一信者はどのような生活をしているか、心の隅で結構ですから、気にかけてください。」

一読者様が紹介されていたブログ主の発言に触発されて、そういえばこんなことがあったよと、つい、書き込んでしまいました。
詳細を書くことで身元がばれると心配しながら。
末端教会様の御父上様のように「お供え」に対しての綺麗な考え方の教会ではなく、貴族のような会長たちの教会に所属している自分の、狭い料簡からの発言でした。

そんな自分に対して、真摯な回答をお寄せくださってありがとうございました。

実は某所で「かんろだいを囲んだかぐらつとめ」に近い様子を見学したことがあります。
その際に感じたこととして、「国々所々」は「つとめ」の場所とはいえ、お面をかぶってのつとめ場所といえるかどうか。研究したわけではないので正直なところ判断はつきません。
拝見して、なるほどとは思ったものの、各教会で同じようにつとめる必要性は感じませんでした。

なぜかというと、自分は「人間の運命」に出てくる漁師のおかみさんたちが、荒天の中、夫や息子が無事に戻ってくれるよう、小さな教会で自然に集まり、みなで十二下りをつとめる姿に素朴な信者としてのありようを感じていたからです。

教祖が教えて下さった、人間宿仕込みの因縁の場である所としての「じば」でのおつとめは儀式にしか感じられないのです。
私自身は申し訳ないのですが一信者として、人間の運命の、この場面を読んで、いいなあ、と、初めておつとめに感激したものでした。

ところで、話はそれますが、信仰を続ける道中に、不思議な体験をすることがあります。
ご利益や御守護頂いたという表現ではなく、不思議だなアという体験を通して神様の存在を実感するのです。
その時、涙は人前はばからず溢れでます。
物や道具立ては必要ないとさえ、思っています。

末筆になりますが、教会改革のプロセスを応援しながら、拝読しております。
上級や大教会、ひいては本部は、封建的な親子、親分子分関係ではなく、神様の前には一列兄弟として(まるで子供のように素直な気持ちで)教えられていることを思い出していただきたいですね。本部の真摯な制度改革への研究をスタートさせる機運も高まってほしいと一信者は切に祈っています。
そして早く一神教として世界に名乗り出てほしいものです。



 

(無題)

 投稿者:匿名  投稿日:2017年 7月13日(木)14時45分14秒
返信・引用
  【宗教法人法】
第四章 規則の変更
 (規則の変更の手続)

第二十六条
  宗教法人は、規則を変更しようとするときは、規則で定めるところによりその変更のための手続をし、その規則の変更について所轄庁の認証を受けなければならない。この場合において、宗教法人が当該宗教法人を包括する宗教団体との関係(以下「被包括関係」という。)を廃止しようとするときは、当該関係の廃止に係る規則の変更に関し当該宗教法人の規則中に当該宗教法人を包括する宗教団体が一定の権限を有する旨の定がある場合でも、その権限に関する規則の規定によることを要しないものとする。

2  宗教法人は、被包括関係の設定又は廃止に係る規則の変更をしようとするときは、第二十七条の規定による認証申請の少くとも二月前に、信者その他の利害関係人に対し、当該規則の変更の案の要旨を示してその旨を公告しなければならない。

3  宗教法人は、被包括関係の設定又は廃止に係る規則の変更をしようとするときは、当該関係を設定しようとする場合には第二十七条の規定による認証申請前に当該関係を設定しようとする宗教団体の承認を受け、当該関係を廃止しようとする場合には前項の規定による公告と同時に当該関係を廃止しようとする宗教団体に対しその旨を通知しなければならない。

4  宗教団体は、その包括する宗教法人の当該宗教団体との被包括関係の廃止に係る規則の変更の手続が前三項の規定に違反すると認めたときは、その旨をその包括する宗教法人の所轄庁及び文部科学大臣に通知することができる。

 (規則の変更の認証の申請)

第二十七条
  宗教法人は、前条第一項の規定による認証を受けようとするときは、認証申請書及びその変更しようとする事項を示す書類二通に左に掲げる書類を添えて、これを所轄庁に提出し、その認証を申請しなければならない。
 一  規則の変更の決定について規則で定める手続を経たことを証する書類
 二  規則の変更が被包括関係の設定に係る場合には、前条第二項の規定による公告をし、及び同条第三項の規定による承認を受けたことを証する書類
 三  規則の変更が被包括関係の廃止に係る場合には、前条第二項の規定による公告及び同条第三項の規定による通知をしたことを証する書類
 

宗教法人法 解散

 投稿者:匿名  投稿日:2017年 7月13日(木)12時37分34秒
返信・引用
  【宗教法人法】
 第六章 解散
 (解散の事由)
第四十三条
  宗教法人は、任意に解散することができる。

2  宗教法人は、前項の場合のほか、次に掲げる事由によつて解散する。
    一  規則で定める解散事由の発生
    二  合併(合併後存続する宗教法人における当該合併を除く。)
    三  破産手続開始の決定
     (略)
    六  宗教団体を包括する宗教法人にあつては、その包括する宗教団体の欠亡

3  宗教法人は、前項第三号に掲げる事由に因つて解散したときは、遅滞なくその旨を所轄庁に届け出なければならない。

 (任意解散の手続)
第四十四条
  宗教法人は、前条第一項の規定による解散をしようとするときは、第二項及び第三項の規定による手続をした後、その解散について所轄庁の認証を受けなければならない。
2  宗教法人は、前条第一項の規定による解散をしようとするときは、規則で定めるところ(規則に別段の定がないときは、第十九条の規定)による外、信者その他の利害関係人に対し、解散に意見があればその公告の日から二月を下らない一定の期間内にこれを申し述べるべき旨を公告しなければならない。
3  宗教法人は、信者その他の利害関係人が前項の期間内にその意見を申し述べたときは、その意見を十分に考慮して、その解散の手続を進めるかどうかについて再検討しなければならない。

 (任意解散の認証の申請)
第四十五条
  宗教法人は、前条第一項の規定による認証を受けようとするときは、認証申請書に左に掲げる書類を添えて、これを所轄庁に提出し、その認証を申請しなければならない。

  一  解散の決定について規則で定める手続(規則に別段の定がないときは、第十九条の規定による手続)を経たことを証する書類
  二  前条第二項の規定による公告をしたことを証する書類

 (任意解散の認証)
第四十六条
  所轄庁は、前条の規定による認証の申請を受理した場合においては、その受理の日を附記した書面でその旨を当該宗教法人に通知した後、当該申請に係る解散の手続が第四十四条の規定に従つてなされているかどうかを審査し、第十四条第一項の規定に準じ当該解散の認証に関する決定をしなければならない。
2  第十四条第二項から第四項までの規定は、前項の規定による認証に関する決定の場合に準用する。この場合において、同条第四項中「認証書及び認証した旨を附記した規則」とあるのは、「認証書」と読み替えるものとする。

 (任意解散の時期)
第四十七条  宗教法人の第四十三条第一項の規定による解散は、当該解散に関する認証書の交付によつてその効力を生ずる。
 

宗教法人法と天理教教規との関係は

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年 7月13日(木)10時26分12秒
返信・引用
  宗教法人法第6章(解散) 第43条(解散の事由)宗教法人は、任意に解散することができる。
と規定しているにも拘わらず、天理教教規 一般教会規定 第一章(一般教会) 第21条 一般教会は、宗教法人法による合併又は解散をしようとするときは、表統領の承認を受けなければならない。とあるが、この天理教教規の規定は法律の趣旨と相容れないないのではないか。

天理教団は何を目ろんでいるのだろう。
 

(無題)

 投稿者:匿名  投稿日:2017年 7月12日(水)16時50分22秒
返信・引用
  参考になるかどうか、分かりませんが、【弁護士ドットコム】というサイトに、宗教法人名義の土地に関する質問と回答が載ってます。

https://c-1012.bengo4.com/b_178647/  「宗教法人名義の土地建物を個人名義へ」

https://www.bengo4.com/c_1/b_489961/  「土地を返してもらいたい。」

など。他にも、いろんなケースが載ってます。


 

終活教会 様

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年 7月12日(水)08時44分15秒
返信・引用
  不動産の名義が法人名になっていると、処分が大変です。
例えば、解散の決議案に不動産の処分案も加えなければなりません。不動産名義をお住いの個人名義に変更(売却等)するにはどうすればよいのか等、難問が載積です。
仮に、解散総会において、今お住いの貴方名義に変更する議案が承認されたと仮定しますと、貴方名義に変更登記をした段階で、不動産取得税という地方税が課税されると思います。
不動産の評価額が高いと税額も相当額になりますので、都道府県の関係部署に聞かれることをお勧めします。

また、天理教団は欲の深い宗教ですから上級教会や教団本部に乗っ取られないように細心の注意を以って臨んでください。
弁護士会の無料法律相談や市町村の無料法律相談を利用されるのも一つの方法です。
何度も言いますが、まかり間違っても上級教会や本部に横取りされないように注意してくださいね。
 

事情教会の終活方法

 投稿者:終活教会  投稿日:2017年 7月11日(火)19時05分8秒
返信・引用
  詳しくアドバイス投稿いただいた皆さま、ありがとうございます。
不動産登記を謄本で確認したところ、教会の土地や建物は法人名義になっていました。
なるほど、行政への相談や関連サイトも参考にすべきですね。
情報集めて対処方法を整理して検討します。
 

教会規定?

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年 7月11日(火)10時35分34秒
返信・引用
  睦輝様の仰るように、確かに続かないでしょうね。でも、いろいろなご意見を拝見できるかもしれません。一応、法人の解散についてわかる範囲で書いておきますので、ご参考になさってください。

第21条  一般教会は、宗教法人法による合併又は解散をしようとするときは、表統領の承認を受けなければならない。
とありますが、解散が承認される具体的な要件は、表統領の胸先三寸にあるのでしょうか。その辺のことが分かりません。

でも、法人が解散をしようとする場合は、先ず、総会を開くべきです。教会は次の手順で信徒総会を開いて下さい。

1.教会規定が分かりませんので、ハッキリとしたことは書けませんが、解散に関する明文があれば、その規定により総会を開くことが大切です。

2.総会を開く1ヵ月以上前までに、議案、この場合は解散決議(案)を同封して総会案内状を送付すること。
この時に大切なことは、当日出席できない人のために、ハガキにて委任状を作成して同封し、必ず投函して貰うようにすること。

3.信徒総会の冒頭において、この信徒総会が有効であることを会長は宣言すること。このことは非常に重要であり議事録にも必ず記載すること。記載要領は次の通りです。

ア 天理教〇〇分教会信徒総会議事録
イ 開催年月日、時間及び場所
ウ 総会案内の発送日と発送総数並びに出席者総数(委任状出席を含む)注:必ず、信徒名簿を作成しておいてください
エ 総会当時は、議長(会長)が信徒総数〇〇名。出席信徒数〇〇名(内、委任状〇〇名)。よって本総会は有効に成立した旨を宣言した。
オ 議長が議事録署名人〇〇〇〇と〇〇〇〇の2名を選任したい旨提案して、提案通り承諾されたことの記載。
カ 議長(会長)が第1号議案 天理教〇〇分教会解散決議(案)の承認方について諮ったところ賛成多数(通常は出席者の3分の2以上が必要)により本案は有効との承認を得た。
なお、重要な反対意見があれば、付記することを勧めます。
キ 以上により、本会は、〇年〇月〇日〇時〇分終了した。


  ○年〇月〇日
以上の決議を明確にするために、議事録を〇通作成して、議長および議事録署名各員が署名捺印する。

議事録署名人

議長(会長)〇〇〇〇  ?
      〇〇〇〇  ?
      〇〇〇〇  ?

なお、議事録には議案書を編綴して、各紙片に必ず議事録署名人3名が割り印をしておくことも忘れてはいけません。
議事録の様式については、ネット上に多数載っていますので参考にされては如何ですか、



 

終活教会 様

 投稿者:末端教会役員  投稿日:2017年 7月11日(火)03時02分13秒
返信・引用
  「末端教会子弟」改め「末端教会役員」です。

これは、私の出番でしょうか?(笑)

http://mikagurauta.grupo.jp/

記事は「被包括関係廃止手続き」で書かれており関係ないと思われるかもしれませんが、教会規則を読んで頂ければお分かりになるように、天理教の被包括関係にある宗教法人の解散・合併・教会長(代表役員)の辞任など、全て「大教会長の同意を得て、本部の承認を得る」事になっています。

教会長(お母様)が施設に入られたということですから、それを理由に辞任届を出すことは出来ますが、承認されるかどうかは分かりません。お母様の辞任を認める条件として、息子(貴方)が後を継ぐこと、等と言われる可能性があります。もし、上手くそれが承認されたら、教会の不動産を全て捨てるつもりで天理教と縁を切る事は可能かと思います。その後に、教会がどのようになるかは、上級・本部の考え次第でしょう。

教会不動産の名義がどうなっているか不明なので一言では言えませんが、被包括関係を廃止すれば、その後は教会内で全てを決定することができます。信仰を続けるのも解散するのも自由です。

HPの方からメールを頂ければ詳しくご説明させて頂きます。


 

(無題)

 投稿者:匿名  投稿日:2017年 7月10日(月)21時47分47秒
返信・引用
  天理教教規
 一般教会規程
  第一章 一般教会

第19条  一般教会は、原則として宗教法人とする。

第20条  一般教会が宗教法人となろうとするときは、申請書にその資産状況を示す書類及び教会の法人規則を添付して、
      表統領の承認を受けなければならない。

第21条  一般教会は、宗教法人法による合併又は解散をしようとするときは、表統領の承認を受けなければならない。

 終活教会様の分教会が、個人名義なのか、宗教法人名義なのか、分かりませんが、【天理教教規】の「一般教会規程」によりますと、分教会名義が、教会長の個人名義だろうが、宗教法人〇〇分教会名義だろうが、「一般教会は原則として宗教法人とする。」ということですから、解散などの事項において、個人名義、宗教法人名義の区別は無い、と思われます。

 宗教法人名義なら、表統領の承認は、受けられないだろうと思いますが、個人名義の教会の場合はどうなのか、これも分かりませんので、東風Z様の仰るように、都道府県の宗教法人を担当している部署に行かれて相談されるのが、一番よろしいのではないでしょうか。
 教会の事情をお話されて、これ以上は続けられる状態にないこと、しかし、教団の表統領からの、解散の承認を受けられるかどうか分からない、ということを相談されるのが良いと思います。被包括関係解消をするのが良いのかどうか、ということも含めて、相談されてみたらどうでしょうか。
 弁護士さんに、相談されてみてもよろしいのではないかと思います。

 私も法的に詳しいことは、分かりませんので、他に、何かご意見がある方は、お教え頂いたら、と思います。
 

終活教会 様

 投稿者:睦輝  投稿日:2017年 7月10日(月)12時26分55秒
返信・引用
  ここではレスが続かず、まとまって付かないと思います。
ようぼく助け合いサイトの相談掲示板が宜しいかと思います。
https://tasukeai0418.jimdo.com
↑ようぼく助け合いサイト(非公式)のURLです。
 

終活教会  様

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年 7月10日(月)08時34分23秒
返信・引用
  解散をとのことですが、この場に教会の現状を詳しく披歴されては如何ですか。

教会は宗教法人登記されているのか。
土地・建物の名義は法人名義か、または、個人名義なのか。
不動産が個人名義であれば、宗教法人に出来ないなどの制限があるそうです。
宗教法人登記がされているのであれば、代表役員及び責任役員が都道府県の宗教法人を担当している部署に行かれて相談されるのも一つの方法です。

何れにしましても、この場にこれらについて詳しいことをご存知の方も居られると思いますので、教会の詳しい現状を投稿されては如何ですか。
 

事情教会の終活方法

 投稿者:終活教会  投稿日:2017年 7月 9日(日)15時26分20秒
返信・引用
  末端弱小教会の息子(介護離職で無職)です。
高齢の母親が会長ですが介護認定され施設に入居させました。
信者さんは高齢で3名しかおらず上級へのお供えにわずかな蓄えを切り崩していますが、もはや限界です。
この際、教会を解散したいと考えています。
知り合いの教会長に相談すると「解散は本部が認めないだろう」と言われました。
先日、本部教庁教務課に行った時に、書類棚に「解散」のシールを見ましたが・・・
解散を認めないのは本当でしょうか?他に方法はないものでしょうか?
上級にはまだ相談していません。
ご存知の方良きアドバイスをいただけると助かります。
 

一信者 様

 投稿者:末端教会子弟  投稿日:2017年 7月 9日(日)03時08分18秒
返信・引用
  >信仰を持っているとどのような利点が有るんですか?

このような根本的質問、疑問にも答えを出せない、明確な指導ができない今の教会に、末端とはいえその組織の一員として恥ずかしく、また信者さんには申し訳なくも思います。

この答えは、
教祖様の教え、みかぐらうたを素直に解釈すれば『かんろだいを囲んだかぐらつとめ』をする事によって、
1.生命発生の月日親神の守護と働きを理解(魂の因縁)し、
2.その月日親神の思いで今生かされている事を自覚(因縁の納消)し、
3.自分が月日親神と同じ心になって、家族や近所、社会に広げて子孫に伝えていく。
という事を深く心に修めて、
12下りによって、その具体的な行動と心構えを身に付けることができる、
というものです。(簡潔に文字にすると意味が分かりにくいのですが・・・)


しかし、今現在の教会では「かんろだいを囲んだかぐらつとめ」を見ることも参加することもできず、三殿に向かって一列に並んで踊っているだけでは、「神様が何かご利益をくれるのだろう」という気持ちにしかなれないのも当然かもしれません。

今の天理教の教会では、「かぐらつとめ」どころか「かんろだい」を立てることも禁じられておりますので、生命が自ら生きようとするエネルギー(いさむ心=月日親神のご守護)を体験することも自覚することも難しいかもしれませんが、「何かいい話はないかな?」くらいの気持ちで参加してあげてください。

 

誤字訂正

 投稿者:一信者  投稿日:2017年 7月 6日(木)13時12分9秒
返信・引用
  7月5日投稿の誤字を訂正します。

「席」→「籍」

失礼しました。
 

一読者さまへ

 投稿者:一信者  投稿日:2017年 7月 5日(水)16時10分7秒
返信・引用
  拝読して思い出したのが最近の月次祭での講話。
ひのきしんに励んでおられる夫婦の方が事故にあったそうです。
詳細な説明が無いため、文字通り「事故にあった」としかわかりません。
先生曰く、「信仰していても、ひのきしんにがんばっていても事故にあうのです。」。

ふーむ、と、考え込むのは私。
先生、次の一言が出ないのかい?

無病息災を願うのは誰しも同じ。
信仰をしていない方だって、信仰している方だって同様。

人間を創った神様は等しく人間をはじめ地球の皆を守ってくださっていて、天理教を信仰していようがいまいが、区別なく守っておられます。

では、信仰を持っているとどのような利点が有るんですか?
その点に言及がなかったことに、正直、「?+?+?」でした。

答えは簡単。
「苦労に出会った際に、心がおれないんです!」

これも偶然ながら、その講話が始まる前のおつとめの最中、ガンを患っている方と、因縁が2つ立てあって噴き出ている私とでヒソヒソ話をしたのでした。

彼女:「負けず嫌いではなく、本心から信仰していて良かったと思うのよ。
   ガンにはなったけれど、そして家族は信仰していないけれど、決して不足には思わないわ。」

私:「私もよ。信仰していなければ、現状、きっと立ち直れないくらい、心にグサッときているはず。今ほど信仰のありがたみを感じる時はないのよ。心が平かでいられるの。」

二人:「命に限りが有るのだから今を感謝しなくてはね。」

表面的に見て、「助かるor助からない」は一つの結果。
心が助かることが信仰の「かなめ」ということが、この日の二人のヒソヒソ話の結論でした。

それにしてもわが大教会では、こうした信者同士のヒソヒソ話に神様の働きを感じることが多いと言ったら、高慢でしょうか?
信者の顔を見れば「ひのきしん」とばかりおっしゃる。

御守護をニンジンにしてひのきしんを持ち出すのは浅すぎ。

「信者が少ないから人手不足です。協力願います。」
このように素直に話せばすっきりしますよ。
でも、言えないでしょう。

一信者たちは、ヒソヒソ話の中で、励ましあっています。
「教会来ても心が暗くなるばかり。でも今日はあなたにお会いできて本当によかったわ。」
「私もよ。お互いに明るく生きましょうね。」

繰り返します。今の大教会で素朴に信仰しているのは一信者なのです。
分教会の子弟が親に反抗して天理教を離れるのは勝手ですが、その際、一信者はどのような生活をしているか、心の隅で結構ですから、気にかけてください。
教会ではない一般信者家庭は裕福だと勘違いだけはなさらないでくださいね。

当たり前ですが、本部員、会長、その家族は特権階級ではありません。
費用のかかる私学へ子弟を通学させていては地域の実情はわかりません。
地域ににおいがかからないのはそうした結果ですね。
教会のお坊ちゃま、お嬢様が一流私学を出て、教会間の婚姻でさらなる「天理貴族」を形成する。
まさかと思いますが、一昔前同様な、こんな人たちがいるとしたら、天理教の未来は暗い。

大学進学するのなら、高卒で働いて、少しでも良いから自前で貯金してから進学してください。
社会の仕組みを底辺で体験しなくては、ろくな大人になれません。
そうした子供の貯金すら、お供えに出せという親がいたら?
私が自信をもって言い切ります。高卒で十分です。
大学へ行っても立派な人になれるものではないからね。
遊ぶ時間が確保されるだけのこと。
肩書は立派なものが手に入るかもしれません。
そうか、権威に弱いのが封建社会の中で生きている人の特徴でした。
本当は、信仰する人は権威主義とは遠い立場に身を置いているものです。


だいすけ君、あなたが率先して、若者のひながたを通ってみてはいかがですか?
結婚も大事ですが、席を入れてから一人で国内の布教に出てはいかがですか?
奥さんは別の教会で「理つくり」を!
「子つくり」は早すぎる!なんてね!

上に立つ立場の人がボンボンのままでは私らの大事な息子・娘を一信者の後継者として、とてもじゃないけれどさしだせません。

ヨロシク!


 

ある方のブログより

 投稿者:一読者  投稿日:2017年 7月 4日(火)23時23分21秒
返信・引用
  ある天理教脱会者のブログより一部を抜粋してご紹介いたします。
尚、ブログ主の方はもう天理教と一切関わりたくない、
思い出したくもないとのことですので
ブログのリンク紹介は控えさせていただきます。



私の両親はとても熱心な天理教信者だったので、
生まれたときから日常的に天理教の教えの中で育った。

教え自体は何も悪いところはないと思うのだけど、
教会そして信者は偏った内容を信じているので、
日々ネガティブな言葉の中で育った。

「あの人は、信仰していないから病気になったのよ」だとか、

「信仰していたから、事故にあったけど、奇跡的に助かった」などと。。

信仰していないと悪いことが起こると、毎日インプットされていた
ようなものである。

こうなると立派な洗脳。

洗脳は恐ろしい。

天理教を信仰していなくても大丈夫だ、と頭ではわかっていても、
まだ潜在的に残っているので、毎日のように悪夢を見て苦しかった。

天理教を離れて20年ほど経つけど、ようやっと今は天理教の教会
から責められる悪夢は見なくなった。

おそらく、両親も亡くなり、日本を離れて海外にいることで
天理教との接点がなくなったからであろう。

今でも、「天理教」に接することがあれば、悪夢そして罪悪感は
続いていたかもしれない。

罪悪感のない今は、本当に自由を感じる。

何をしてはいけないだの、何をしなければならないなどと
脅されることは何もない。

完全なる自由だ。

罪悪感があった長い間、苦しかったけれども、この暗闇があったからこそ、
今の自分が本当に自由で幸せであることを噛みしめられるのかもしれない。

そう考えるとこれも必要悪だったのかとしみじみ思う。。

宇宙は完璧だ。

無駄なものは何もない。
 

権力は腐敗する

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年 7月 1日(土)10時51分38秒
返信・引用
  一文字隼人さん、と呼ばせていただきます。

教団本部を権力者とは云えないと思うのですが、やる事為すことが権力者に見えてしまいます。
例えば、天理時報今月2日号の1面左上段に「通達」とのタイトルで、二代さんの50年祭執行の案内が掲載されていますが、そもそも「通達」というのは役所用語です。「お知らせ」ではいけないのでしょうか。
また、文言中にも「執行する。」なんて上から目線的な語句が平気で使われています。
なぜ、「執り行います。」ぐらいでいいのではないでしょうか。
私が編集長だったら次のように書き直します。 最も、即クビでしょうが。

   お知らせ
二代眞柱 故中山正善の五十年祭を来る11月14日午前10時から教会本部において執り行います。

と、身内の年祭に、わざわざ「様」を付けるなんてみっともないことはしません。
余談ですが、私は比較的規模の大きい団体の職員でした。ある時期から規定集の文言を大幅に見直しました。例えば、「・・・とする」を「…とします」等ときめ細かに見直しをしたところ社員(会員)の意識がより協力的になった経験をしました。
言葉の持つ意味の大切さを痛感した出来事でした。
 

感覚が麻痺している

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年 6月30日(金)20時29分57秒
返信・引用
  東風zさんへ

「天の将軍」ですが、高野友治によれば明治16年10月に記された『当神古記』と言われる書き物のようで、
梅谷四郎兵衛が真心組と合同で教会公認運動をした時に提出した文書だそうです。教祖の高弟と言われるような
方々も入信したのは後々のことであり、神憑りの時のことは入信後に聞いた話でしょうし、どこでどのように
「天の将軍」という言葉が言われ出したのかまだまだ研究の余地はありそうです。

話はかわりまして、

 連日、世間を賑わしている豊田氏のパワハラ暴言事件ですが、人々に大きな示唆を与えているような気がします。
衝撃的だった録音内容ですが、それを擁護する元官房長官の発言も完全に異常としか言えません。
感覚が麻痺した者が今の日本を背負っているのかと思うと情けない話です

 強い特権意識を持ち、相手を思いやることが出来ず、先のことも想像できず衝動が抑えられないのでしょう。
セクハラ、パワハラの原因になると思いますが、その元にあるのが、やはり自分は特別な存在だと勘違いした
特権意識があるからのように思います。

 そんなこと言ったって政治家というのは忙しいし、多くの案件を抱え精神的に休まることもないのだから、
仕方がない、理解してくれ、大目に見てくれと弁護する人もいるかもしれません。しかし、逆に言えばそんな
余裕のない人間が権力や地位を持つことは危険じゃないのかとも思います。

 その職務が遂行できるだけの処理能力を備えた者しかできないはずなのに口がうまく表裏をうまく使い分けて
上にのし上がった人も多いのではないでしょうか。

 天理教という組織の中でも豊田氏の暴言のようなことは山ほどあるのではないかと思います。人と接する時、
相手がどんなカテゴリに入るのかで、大きく態度を変える人もいます。
 私の目からは見て一番信用できないタイプです。しかし、本人はそんなことは自覚していないし、私は何も間違って
いないと思っているでしょう。 教団の中に人権意識を高めるために人権啓発委員会というのがあったと思いますが、
どのくらい機能しているのかと思います。

 セクハラ・パワハラは無意識のことですから、自覚できないのでしょうが、人も見ていれば神も見ています。
大教会、分教会、そして詰所で見てきたことですが、立場が上だと思ったら、放漫な態度を取ったり、見下して
暴言とは言わないまでも相手への配慮にかけたことを平気で口走っている例を見てきたような気がします。
自覚がないことが根本的な原因ですから、まず自覚していただくことから始めないと何も始まらないのかとも思います。


 人間ですから、ほこりを積むことはあります。神をほうきにほこりを払うのが教えですから、常に気をつけなければ
ならないと思いますが、ついうっかりということもあります。問題はここで、どうほこりを払うかだと思います。
自分は人間だからとそんなこともあると自身を甘やかすのか、或いは深く反省し、関係する人にも謝罪し再発防止に
努めると自らを律するのか


 前者の場合、人が離れていったり、距離を置いて、つき合う人が増えていくように思います。

「実るほど頭を下げる稲穂かな」とはよく言いますが、本当に中身が備わった人なら「実るほど頭が下がる稲穂かな」だと
思います。どこにでも尊敬できる実った稲穂のような人はいると思います。 天理教人を自認するならそうあってほしいです。
 

天理時報2017年7月2日号の写真を見て思うこと

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年 6月30日(金)19時41分39秒
返信・引用
  親里の初夏の伝統行事をみて思った。(天理時報は義理で購読中)
末端教会の多くは塗炭の苦しみにあるというのに、少々能天気ではないのかと思った。
末端教会子弟さんはじめ退職信者さんの書き込みと重ね合わせようと思っても、どうしてもずれが生じてしまう。
この感情は一体何なんだろう。5月24日に5ヵ月ぶりに訪れた天理本部でも感じたことだ。図体ばかりがバカでっかく目立ち、人影の無い本部の佇まい。
今は亡き姉が住んでいた近くに小さな教会があり、以前は朝夕にお勤めの声と太鼓拍子木の音が聞こえていたが、今では聞かなくなったと言っている。何があったんだろう。
来る11月14日には二代真柱の50年祭が執行されるという。次々と追いかけてくるご祝儀と玉串料。本部だけにとどまらない。部内関係者は大変だろう。上級教会長や所属教会長の何十年祭と際限のないお付き合い。案内が来れば無視することが出来ないだろう。70歳を超えれば、あらゆる付き合いを遠ざけるのが老後を生き抜くコツだと書かれた本を見たことがある。
2014年(平成26年)家計の概況・総務省「家計調査年報(家計収支編)」によれば、老後の資金は月々29万余円が必要と書かれている。月額15万円の我が家に天理教教会は次のように言ってくる。
「無いところをするのがまこと真実」であると。天理教という村社会に愛想が尽きるのも止むをえまい。
 

(無題)

 投稿者:退職信者  投稿日:2017年 6月30日(金)09時45分10秒
返信・引用
  天理教機関紙「みちのとも」立教180年7月号の特集「魅力ある教会に」

大笑いだね。

今の組織のどこに普遍性があるのだ。本部在籍者が食って行く為の組織だろ。

本部在籍者は、この組織が「魅力ある教会」に成れると本気で思っているのか。

もし、本気で思っているのなら狂っているとしか思えん。

いや 本気で思っているかもしれないな。

「魅力ある教会」という視点は、本部在籍者からの視点だ。
本部在籍者達が、自分たちに「非がある」と認識したら「魅力ある教会」という視点は生じない。

天理教の衰退の原因は、「私たち本部在籍者」では無い。
要会以下の全ての教会が、怠けているからだ。
「お前達教会が自堕落な生活を送っているから信者が逃げるんだ」
「もっと魅力ある教会にしろ」
こんな感じだろう。

本部在籍者達が、「天理教の衰退の原因は自分たちにある」と真に認識したら「本部の改革を具体的な行動目標」として掲げてくるはずである。

例えば、「別席は無料にする」とか「活動しない名称は抹消」するとか。
    「5代目結婚式の祝儀は、要求しません」とか。
    「お供えは命のつなぎ」は撤回します。「ごめんなさい」とかね。


本部が公表する分教会数(16667 2015年)
こんな数字を掲げているが、分教会は実在しているのか? しないだろう。

「実在しない教会」に向って「魅力ある教会」を叫ぶ本部在籍者達。本当に愚か者だ。


私の住む地域では、建物が崩れそうな教会、
         名称が剥げてただの板になった看板下げてる教会
         看板下げた教会
        「感謝 慎み たすけあい」の標語を下した教会

中には更地になったりマンションになったところもある。

「魅力ある教会に」という視点に立ったら既に壊滅状態だ。

「壊滅状態の分教会」に向って「魅力ある教会」を叫ぶ本部在籍者達は、本当に哀れな人達だ。
 

(無題)

 投稿者:末端教会子弟  投稿日:2017年 6月28日(水)13時28分9秒
返信・引用
  天理教機関紙「みちのとも」立教180年7月号の特集は「魅力ある教会に」だそうですが。

よくぞ言ってくれました。
早速、魅力ある教会に作り変えたいと思います。

まず、
三殿に御簾を掛けて隠します。
三殿に向かって一列に並んでいる鳴り物を取っ払います。
中央に「かんろだい」を立てます。
献饌物は、畑で採れた「ジャガイモ・なす・ネギ」等だけにします。
献饌物を置いたら、かんろだいを囲んで立ったまま「おつとめ」します。
そして、信者さんには、
「このように、畑に種を播けば大きな実りがあります。勿論、収穫までには雑草を抜いたり肥料や水をやったり、色々と手を入れなければなりませんが、こうして実るのは月日親神が決めた十の働きがあるからです。当たり前と言えば当たり前ですけど。そして、月日親神は、この世に人間の種を播きました。人生の中には雑草が生えるかもしれない、水や光が不足する時期もあるかもしれない。でも、私たちがこのジャガイモやナスと違うのは、自分で行動して解決することが出来る、全て解決できないまでも、改善や少しでも良い方向に向ける事が出来るという事です。一人で無理なら二人、二人で無理なら10人。皆で話し合って協力していけば良いんです。ここに来て頂いている人には、この事を心に納めてじっくり考えて、毎日を過ごして欲しいと思ってます。」
と説きます。
最後に、献饌物を調理して皆で味わい、残りを持って帰って食べて貰います。

これが、最初の基本となる信仰姿勢だと考えて来ました。
ただ、教会と畑の運営の為に、月いくらかの「会費」をお願いするかもしれません。
 

魅力ある本部に

 投稿者:社会学からの転載  投稿日:2017年 6月28日(水)11時33分30秒
返信・引用
  魅力ある本部に
2017年6月28日 9:01 AM

天理教機関紙「みちのとも」立教180年7月号の特集は「魅力ある教会に」である。
早速疑問だが、魅力をそなえた本部なら、それが伝播して各教会も魅力が増すのではありませんか?
こんな事を特集する前に、表統領の「お供えしなければ命が切れる」発言問題や、ハニトラ、美人局による金銭たかられ、ゆすられ問題。
両統領の指示による島村、中山治信本部員、高井準員らが実行し、失敗に終わったという大教会法人乗っ取り事件などの釈明や謝罪が先決なのでは?
こんな魅力のない本部に「魅力を増せ」と言われても、心はまったく動かない。
このままで本当に後継ぎの9月1日の結婚式は迎えられるのか?
まずは「魅力ある本部になってくれ」。そう願うばかりである。
 

神の沈黙

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年 6月27日(火)21時51分3秒
返信・引用
  東風zさんへ
 こちらこそありがとうございます。私よりずっと年齢も上の方に「様」付けされては困りますし、私は掲示板で
構えることなく、談じ合いたいと思っておりますので、ある時から年齢にかかわらず、皆「さん」付けで通すように
しておりますので、気兼ねなく「さん」でお願いいたします。

>有り難うございます。高野友治氏著。高野眞幸氏編・発行「教祖 おおせには」2013年6月26日発行という非売品の
>本を持っています。この本の全文を紹介したいのですが、著作権の問題上と470ページに及ぶ内容のためにも出来ません。
>ただ、この本を読んで思うことは、教祖は今のような教団の姿を望んでおられ無かったと断言できることです。


 すばらしいですね。手に入りにくい本ですし、まだ新しい本ですね。私も高野友治は「ご存命の頃」とか
「天理教史参考年表」などを読んで時代的なことを調べたりもしております。高野眞幸氏というのはご子息さんか親戚の方
ですか?実はこの名前でネットを検索したら以前、見ていた柳本飛行場などのサイトが出てきてびっくりして
おりました。戦中、天理教が軍部と協力していたこととも関連のある飛行場ですね。強制連行の話とも関連してますし、
その研究をされている方のようですね。

>碧浄瑠璃園は、あの当時有名な伝記小説家であった・・・とあり、我は天の将軍なりにも高野友治氏は疑問を呈して
>おられます。


 私も気になっているのですが、高野友治の本(どの本か忘れましたが)の中で「天の将軍」という言葉が載っている
一番古い資料の話があったように思います。「復元」にも「天の将軍」のことは書いてあることは以前にも掲示板で紹介
しましたが、出典までは載っていなかったような気もします。教祖の高弟である誰かが聞いて書き残した資料が一番古い
のじゃないでしょうか。ちょっと記憶が定かでないのではっきり言えなくて申し訳ありません。 本当にその時代に
ICレコーダーやビデオのようなものがあれば、はっきりしていたのにと思います。(無理な願いはしてくれなと言われそう)

「天輪王神」「天輪王明神」「転輪王」「転輪王命」に関しては、まだまだ解明されてない部分もあるようですね。
仰るとおり「人々がこの神に祈念する段階に至って、祈念の言葉として、神名が出てきたと思う。」その通りではないかと
私も思います。音的には似ていますし、研究されている方も多いからいずれまたはっきりしてくるのかとも思っております。

 細かい研究は専門の方にお任せして、教祖、本席と約70年くらい天啓が続き、広がっていった天理教であるのに、
それがいつの間にか天啓ではなく、人間が都合よく運営する教団になってしまったのかというところに興味がわきます。
ナライトや茨木基敬などやはり神懸りはあったのか、ちょうど本席が出直す前後10年くらいの本当の様子を知りたいです。

 そしてその時期以降、なぜ神は降りないのか? 十分に教えたからあとは人間がよく考えてやれ!とでもいうのでしょうか。
井出クニの話も以前、書きましたが、何かおかしい気がしてなりません。

 神名はともかく、神は直接、人間に語りかけてはくれないのでしょうかね?

だとすれば今の天理教という教団はいったい何なのでしょうか。「沈黙」を思い出してしまいます。

教祖の教えや本席の天啓を元に「陽気ぐらし」を目指す集団ですか?
(そのメンバーがそれぞれ勇めないのはなぜ?)
真柱様を中心として、高弟の子孫だけが役員になれる財閥のような集団ですか?(教祖や本席が望んでいた姿なのだろうか?)

 宮家を真似したように「~さま」付けもおかしくないですか? まだ宮家は政治に介入しないだけましですが、天理教は
家柄が大事で、しかも世襲制が普通ですから、それらを守ることに偏りがちな気もします。

 組織は改革していってもいいものではないでしょうか。手遅れになる前に。
 

一文字隼人 様

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年 6月27日(火)12時02分18秒
返信・引用
  すみません。次の文中の一字を訂正します。

その時の言葉が、天輪王命、そうでなかったかと想像する。を
その時の言葉が、転輪王命、そうでなかったかと想像する。に。
失礼しました。
 

一文字隼人  様

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年 6月27日(火)10時01分30秒
返信・引用
  有り難うございます。高野友治氏著。高野眞幸氏編・発行「教祖 おおせには」2013年6月26日発行という非売品の本を持っています。
この本の全文を紹介したいのですが、著作権の問題上と470ページに及ぶ内容のためにも出来ません。
ただ、この本を読んで思うことは、教祖は今のような教団の姿を望んでおられ無かったと断言できることです。
勿論、教祖の理念をどのような形に表してゆくのかは、教えを引き継ぐ人間が考えなければならないことですが、現在のような神道形式ではなかったはずです。

話は変わりますが、教祖が最初に発せられた、親神の自己表現として、天理教教典では、我は元の神・実の神である、・・・と。一方、明治末年から、大正時代に一番よく出版された、碧浄瑠璃園著「中山美伎子」には、我は天の将軍なりとされています。
碧浄瑠璃園は、あの当時有名な伝記小説家であった・・・とあり、我は天の将軍なりにも高野友治氏は疑問を呈しておられます。
また、神名についても、次のような記載があります。
慶応3年(1867年)、中山秀司が京都の吉田神祇管領家へ、布教の許しをもらいに行くとき、古市奉行所へ、添書依頼の願書を出している。そのなかには、「天輪王神」という表現になっている。そして吉田家からの許可書には「天輪王明神」となっている。
その当時の信者たちの記録には「転輪王」の文字が多い。
だから、と結論づけることはできないにしても、この神の神名を、人々は、天保9年(1838年)からか、あとになってからか、転輪王命と称えていたのではないかと想像される。
時期の問題だが、初めは、教祖は神のやかたであり、教祖すなわち神であるから、自分で自分を唱えることはなかったと思う。
人々がこの神に祈念する段階に至って、祈念の言葉として、神名が出てきたと思う。
そうすると、嘉永6年(1853年)庄屋敷村のユキ女がお産のおたすけをいただいたとき、そのころと思われる。
その時の言葉が、天輪王命、そうでなかったかと想像する。中略
その言葉が、仏教の言葉であろうと、神道の言葉であろうと、儒教、道教の言葉であろうと、問題にされなかったのではないか。

更に「南無」という言葉についても言及されていますが、後に譲ることにします。
 

(無題)

 投稿者:匿名教会  投稿日:2017年 6月26日(月)22時26分38秒
返信・引用
  >教会の名の下に家族を囲い込んでできているのが教会制度<

本当にその通りです。上級教会へ自教会の窮状を訴えた時、「子供は何もしないのか?」と子供からの援助がないことをを当たり前のように非難されました。子供には子供の人生があります。ましてや、天理教を「ペテン師」だとして非難している我が家の子供達に、教会維持管理のための金銭的援助を要求できるはずもなく、また強要するのは子供に対する精神的経済的「暴力」以外に何物でもないです。
道様の書かれている組織制度としての「人権じゅうりん」は全国の多くの教会の現状だと思います。多くの教会子弟は洗脳状態にあり、理不尽な支出でも「親のため、陰の徳積み」と思い込まされやっているものと思われます。若者たちの自由に生きる権利、人権救済が必要です。

 

坊さんも食えないのに

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年 6月26日(月)20時50分12秒
返信・引用
   インターネットでお坊さんも食っていけない時代になっている記事をいくつか読んでいました。
まさかそんな時代が来るとは思いもしませんでしたが、事情は天理教も同じで宗教の歴史としては
雲泥の差があるにもかかわらず、やはりお寺さんも食っていけないのだという現実があります。

 アルバイトをして食いつないでいる住職さんやお布施や寄付が集まらず、お寺の修繕費はおろか、
その日の食う事さえ事欠くという坊さんもいるそうです。

 同級生が末端教会を継いでいますが、アルバイトや手伝いなどしなければ食っていくことはできない現実が
あるようで、そんな状況で教理の話をしても興味もなければ、難しいことはわからないと言われます。
同じような教会が日本中にあるのかと思うと、一体、何のために教会をやっているのかとも思えます。

 解決する方法はないものかとも思いますが、末端教会子弟さんがされているようにピラミッド体制から離れる、
つまり被包括関係を廃止するというのがいいのかとも思えてきます。なぜなら今後も上級教会が栄えていくことは
望めないし、代も変わっていきます。お供えが上がらなくなって部内教会を頼るだけになるだけです。
金銭的、人的に頼られるだけで、末端は耐えられなくなる状態になるのは明白です。

 信仰が伝わっていくこともなく借金を重ねたり、会長夫婦の子供が天理教には寄りつかず、離れていくような状況で
あるのなら、状況がひどくなる前に、よく話し合ってみるべきではないのかとも思います。

 信仰をやめるのではなく、一宗教法人として上下関係もなく天理教の教会として活動を続けていくが、幕藩体制の
ような上下関係を断ち切り、自ら信仰を求め、その地域での陽気暮らしを目指せる一宗教法人として存続していくしか
道は残されていないような気もします。

 末端教会の更に下の布教所が末端教会を支えているような状況もあると思いますが、それも教会の会長の
兄弟、親族であるケースが多いのではないかと思います。身内だから支えているという部分もあると思いますが、
代が変わり血縁が薄くなってくると、いったいいつまでこんなことを続けているんだと不足が出て来るのも自然な流れです。

 バブルの時代はとっくに終わり、競ってお供えをするということも起こりません。やはり直属教会の縦のつながり
ではなく、横のつながりで地域で教会同士が集まり、信仰についても語り合い、地域に根差した教会運営をしていく
時期に来ているのではないかとも思えます。参勤交代のような参拝も必要なく上級へ上級へお供えを上げる必要もなく
信者さんからのお供えは教会を運営していくことに使い、明朗な会計と監査をし、宗教には金がかかるるだろう?
というイメージを払拭していかなければ発展も望めない
ような気もします。

 時間はかかっても、今後、そうなっていくような気がします。なぜなら信仰は素晴らしい、いい教えだと皆、口に
するのに制度は最悪だ、封建的だ、システムがおかしいと体制には批判的な人が多いからです。

 先人に関する書物(道友社以外の)を読み漁っていますが、それぞれの先人の人物像が垣間見えて面白いです。
今の教団はおかしいと感じると同時に、完全に神が離れているような気がしてなりません。歴代真柱に神は降りず
天啓を伝える社には選ばれず、仮に神が選んだ天啓を伝える者が現れても、認めず排除していくのでしょうね。
 

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