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本物を探す旅が信仰のような

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年11月20日(月)21時12分30秒
返信・引用
  匿名さん

>天理王命の神名はいろいろな名前を経た末の創作(人間による)だった、というのは間違いないようですね。

 何を根拠にそう言われているのかわかりませんが、八島さんの影響を受けておられるようにも感じます。
神名については以前、この掲示板でも少し投稿したことがありますが、いろいろな変遷を経ていることは事実です
「神名」とひとことに言っても十柱の神の名もあれば、元の神、実の神という意味での親神を表す「神名」もあると
思います。「てんりおうのみこと」という点で見ていくと、

元治・慶応年頃  天輪王命 天輪王神
明治6年~12年頃 天輪王神
明治13年~14年頃 転輪王(秀司さんの転輪王講社時代(金剛山地福寺))
明治15年~18年頃 天輪王命(中には「天倫王命」も見られる)
明治18年以降   天理王命(神道部属の教会となってから「天理」の表記が現れる)

 神名について詳しくお知りになりたい場合はネット上にも資料があり、これらが参考になります。
「天理教における親神・天理王命の神名」 津井 治郎
https://tohoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=2053&file_id=18&file_no=1

「天理教神名の変更について」 早坂正章(元天理大学宗教学科教授)
http://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/1247/GKH010703.pdf

以前にこの掲示板でも神名については話し合ってますよ。
http://6706.teacup.com/5051/bbs/3175
http://6706.teacup.com/5051/bbs/3419

これらを読んでもらえれば、仏教も神道も関わりがあることがお判りになると思います。

>しかし、未だにその事実を知らない信者・信徒はたくさんおられるようですが・・・まあ、名前は百歩譲ったと
>してもその中身は一体どうなんだ?というところが問題です。


 元々、教祖に神憑りがあってから、いろいろと教えを説いてきているわけですが、教団というものはなく、
人間が集まり、布教をしていくという上で当時の法に合わせるべく、都合よく名称が変えられてきた
と考えるのが
妥当かと思います。ただ仰るように名称より重要な中身が大事なのであって、そこにおかしなものが混ざっていては
いけない
と思います。

>また、いろんな逸話なども都合の良いように創作(美化・神格化)され、物語の台本の如く人の手によって
>作られてきた可能性が高いようですね。


ですから、私はこの掲示板でずっと史実を確かめ、信じるに値するようなことを記事にあげ、書き続けています。

>この宗教団体は後の人々によって作られながら変貌を遂げてきたようですね私は教会で生まれ育ち、親も教会の
>出身、親戚もほとんど天理教・・・の環境で本当に教祖のひながたを通らねば・・・と思っていたクチです。


 皆さん、そういった人がほとんどだと思います。ただおかしいと感じながらも変えることができない
素直じゃない、と変な悟りで、こんなものだと思って過ごしていたのではないかと思います。 表立って本部が出す文献には
そういった史実の細かいところは出さないようにしていたでしょうし、戦後生まれの人達は天理教のエッセンス的なものしか
触れてこなかったわけですから無理もありません。私もそうでした。

>一体何が本当で何がウソなのかわからない。こうなったら全てを疑ってかからざるを得ない。

 史実に関しては二代真柱の時代に詳しく資料を吟味し、教典や教祖伝などまとめられているので、大きくずれて
いたりすることは少ないです。しかし、芹沢光治良も言っているように歴史教科書のようで教祖の思いが伝わら
ないようになっている気がします。省略されている部分もあり、芹沢氏の「教祖様」と読み比べても、同じ史実で
ありながら、受ける印象は大きく違うものがあります

 八島氏も修養科の講師をしたり、深く研究もされていたと思いますが、ただ独自の判断とそれを断言することが多く、
鵜呑みにはできない
と私は感じています。ですから自分で古い文献を調べて再検証をして説くことに確証が得られれば
信じるようにしています。しかし、そうでない部分もけっこうあると感じています。ややもすると一般信者が知らない
ような言葉を並べて、さも私の理論や解釈が正しいと主張しているような印象の文も見かけます。

 八島氏は「天理教の教義と教会の現状」という論文の中で「みきが説いた教義さえも鵜呑みにするのではない。自分で
本当かウソかよく思案して、心に納めたら自分の意思で動いてくれ」
と言っています。これは大いに参考にすべきだと
思っています
。ですから教会本部発行の物八島氏が発行の物芹沢氏の作品にしても、自分で調べ、検証し納得できた
ことを心に納め、自分の生き方の上で実践していきたいと私は思っています。

>但し、何が本当で何がウソかが明白になったところで私の・・父の・・人々の・・失われた人生の時間が戻って
>くることは無いということだけは確かですね。虚無感がハンパ無いです。


 それは親世代ではそうならざるを得なかったのかもしれません。ですから、今こそ皆が再構築していく旬が来ている
と考え、談じ合っていくべき
ではないでしょうか。そして 正しい方向へ変えていこうとする気運を高めていくことが
大事なのではないでしょうか。私はあちこちでそのような気運が高まっているように感じています。

 あえて今回、八島氏のことも書かせていただきましたが、最近、どこのSNSでも八島氏が正しいとばかりに、鵜呑みにし、
天理教はおかしいという若い人も見受けられるようなので、八島氏が言うように「自分で本当かウソかよく思案して」
ほしいと思い、書かせていただきました。けっして八島氏の言説を全否定するつもりもなければ、教会本部が正しいとも
思っておりません。

ichimonji8810@excite.co.jp
 
 

(無題)

 投稿者:ぶたまん  投稿日:2017年11月20日(月)14時51分16秒
返信・引用
  去年まで御屋敷勤めをしていた人さんの家計をはからずも拝見してしまうことになったのですが、
一般の家計と1ケタ違っていることに驚かされました。
「御屋敷」は貨幣価値がまるで違う外国みたいですね。日本国の中に外国があるという感じで
す。それも共産主義の国。

ご存知のように、共産主義の国では「衣食住」が保証されていて、中国などでは鉄飯碗(一生食
いっぱぐれがない)という言葉が生まれているくらいです。
ですから、天理というこの外国の地に日本国の法令をあてがってもいいかどうか、解らないような気がしてきました。(←ややイヤミをこめて)

労働基準法の中に定められている権利を主張すると、相手方もアパート代や食費その他必要経費を
日本の市場価格に変換して請求してくるかもしれません。

それでも、手取り2万円は少ないと私も思います。何か必要な物を買いたくなっても、一般の人と
同じスーパーや店に行かねばならないからです。天理には御屋敷勤めをしている人専用のスーパーが
あるわけではありません。

天理教の人にとってみれば、経済においては「一国二制度」みたいに感じられるかもしれませ
ん。しかも、そのサイフを握っているのは天理教の中枢にいる人たちですから、中枢の言うことを
聞かざるをえない、というところでしょうか。

本部の人を偉いと思い尊敬するからその人達の言うことを聞く、というのではなくて、サイフの
ヒモを握っているから言うことを聞く、のですか?

一つの国なのに、誰がサイフノヒモを握っているかとか、経済の仕組みが違うとかで意識も違ってくる、
不思議ですね。
 

(無題)

 投稿者:退職信者  投稿日:2017年11月20日(月)13時41分43秒
返信・引用
  現行天理教の正当性は、全くありません。

親神 おや様の正当性は、おふでさきだけです。

 

Re: 皆さん答えて頂きありがとうございました!!

 投稿者:崩壊  投稿日:2017年11月20日(月)10時53分50秒
返信・引用
  > 毎月給料明細があればと思っていたのですが、私は職場からではなく、詰所でお与えを受け取ることになっていたので、明細はいただいていません。また、職場では出勤は一人ひとりカレンダーのような表をいただき、それに判子を押すだけだったので8時間働いたことを証明できるものなのか微妙なところだと思うので、何かしら事を起こそうとしても勝てないと思っています。<

  そもそも、給料明細を渡さないということに私は違法性を感じます。給料の積算根拠となる帳簿類は通常最低5年間は保存することになっているはずです。
 詰所にお問い合わせになり、給料の積算根拠となる帳簿類を見せてもらうように要請されたらいかがでしょうか。現在、天理教で使われている「ひのきしん」という言葉は、本来の意味合いを失っています。信者をタダで働かせたり、あなたのように極端な低賃金で働かせ、人件費をうかせるには本部側にとって、うってつけの便利な手段であると思います。また年一回全国各地で開催されている「全教一斉ひのきしんデー」なるイベントも、私には単に天理教のプロパガンダとして開催されているように思えてなりません。労働の対価として支払われる給料を「お与え」という言葉で表現すること自体、上から目線的で、私は大変、違和感を感じずにはおれません。このまま泣き寝入りすることなく、調べられることは調べられたらよいのではないでしょうか。国民年金や国民健康保険料も給料額に基づいて算出されているはずです。所得税も然りです。積算根拠となる帳簿類は詰め所に存在しているはずです。
 

皆さん答えて頂きありがとうございました!!

 投稿者:去年まで御屋敷勤めをしていた人  投稿日:2017年11月20日(月)01時15分45秒
返信・引用
  私は寮生活だったので特に衣食住には苦労はしていませんでした。源泉徴収票には詳しいことはあまり書いてありませんでしたが、国民健康保険と国民年金で26万円程引かれていることは間違いないです。また、その当時の寮での噂なのですが、寮の食費はあらかじめ給料から差し引かれているらしく、月々3000円程だそうです。これでおよそ58万円にはなると思います。
毎月給料明細があればと思っていたのですが、私は職場からではなく、詰所でお与えを受け取ることになっていたので、明細はいただいていません。また、職場では出勤は一人ひとりカレンダーのような表をいただき、それに判子を押すだけだったので8時間働いたことを証明できるものなのか微妙なところだと思うので、何かしら事を起こそうとしても勝てないと思っています。
 

社会学のコメント欄に激しく同意

 投稿者:匿名  投稿日:2017年11月19日(日)23時37分31秒
返信・引用
  天理王命の神名は創作だよ 2017年11月18日 10:46 PM

http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?page_id=405#comment-100330

退職信者様・ どん亀様の投稿を読ませてもらっていると、天理教というものの正当性というのか、「そんなものは無かった!」というしか無いのか!
天理王命の神名はいろいろな名前を経た末の創作(人間による)だった、というのは間違いないようですね。しかし、未だにその事実を知らない信者・信徒はたくさんおられるようですが・・・まあ、名前は百歩譲ったとしてもその中身は一体どうなんだ?というところが問題です。また、いろんな逸話なども都合の良いように創作(美化・神格化)され、物語の台本の如く人の手によって作られてきた可能性が高いようですね。
本当にイワシの頭も拝めばありがたく思えてきて、拝まざるをえない・・・
それを、10人、100人、千人、万人でやればそれこそなんとありがたい神様だ・・・となるのは確か・・・
この宗教団体は後の人々によって作られながら変貌を遂げてきたようですね私は教会で生まれ育ち、親も教会の出身、親戚もほとんど天理教・・・の環境で本当に教祖のひながたを通らねば・・・と思っていたクチです。三代真柱が教会内容の充実を打ち出した時には本当にそうせねば・・・と思いましたし。だいたい父親(末端教会長)は社会で仕事をすることもなく道一条という形で天理教だけをして人生を終えました。人間の、人の、人生がこんな風に展開し幕を閉じてもいいものか?と本当に考えさせられます。あり得無いと・・・
一体何が本当で何がウソなのかわからない。こうなったら全てを疑ってかからざるを得ない。
但し、何が本当で何がウソかが明白になったところで私の・・父の・・人々の・・失われた人生の時間が戻ってくることは無いということだけは確かですね。虚無感がハンパ無いです。
私たちは言わば人の作り上げた壮大なお芝居を見て酔いしれ熱狂し我を忘れたまま、芝居と人生を一体化させ、またその酔いを親から子供へ子から孫へと伝え、ずーっとお芝居を見せられてきたような感じですね。基本的に不安を抱えた人々が神という絶対的な揺るぎない対象を求めていたところに・・・てことか?
 

訂正です

 投稿者:匿名信者  投稿日:2017年11月19日(日)18時00分24秒
返信・引用
  https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w180887998

上記のヤフオク出品のみかぐらうたの発行年を訂正させてください。

正しくは「廿一年」でした。

見間違えに気が付いてドキッ!!!
お詫びして訂正します。

出直しされた教会関係者の遺族からの流出物でしょうか。
中古本を取り扱う方の目にとまったおかげで反故にならずにすむのでしょう。
 

今後

 投稿者:いほり  投稿日:2017年11月19日(日)14時08分44秒
返信・引用
  信者をやめたいがネットに疎い、ネットを全く知らない人(特にお年寄り)に、どう働きかけをしていくか?
どう洗脳を解いていったら良いのだろうか。
 

(無題)

 投稿者:ぶたまん  投稿日:2017年11月19日(日)06時18分14秒
返信・引用
  去年まで御屋敷勤めをしていた人さん

> 源泉徴収票の所得の欄には58万円と書かれてありました。
とあるのですが、源泉徴収票に書かれているのですから、58万は年収になろうかと思います。
年収 58万となると、税金は一切かかりません。

月々2万円を手渡されているようですが、ボーナスはいただかれていないでしょうか?
ボーナスが1?月分、年2回として、年間 4万、とすると手渡される分は、年 28万。
58-28=30 で、年 30万が天引きされていることになりますね。
年 30万は、月々 25.000円。これは、家賃、管理費等に当たるのでしょう。
(天理では、ワンルームマンションの相応な家賃です)

その他、水道・ガス・電気代等の「消えモノ」があるのですが、これを手取り 2万円の中から負担
ということになると、これはキツイですね。
さらに年金・健康保険がかかり、となると、どうやってこれらを納められているのでしょうか・・
家賃がタダだとしても、これら月々消えていくモノを全部合計すると、家賃の分を上回ると思いますが

ともかく大変ですね。我々参拝者のためにいつも色々ありがとうございます。
 

お屋敷勤め

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年11月18日(土)22時24分3秒
返信・引用
  去年まで御屋敷勤めをしていた人さん

>働いていた当時はそのようなことは思ったことはないのですが、改めて言われると思い当たる節がいくつかあります。
>例えば1日8時間、週に1回の休みで2万円、源泉徴収票の所得の欄には58万円と書かれてありました。


 文面からすると教会本部「勤務者」ではなく「ひのきしん者」のようですね。現在では2年のひのきしん者としての
勤務のあと、面接などを行い3年目から「勤務者」扱いになり、8万?くらいに上がり、社会保険などもつくようになって
いると聞いています。今時、若い人に月2万で2年も働かせるようなことをしているようでは訴えられてもしかたがない
ような気もします。聞いた話ですが、本部の独身寮に住んで2年勤務してこんなところでやってられるかと悪態をついて
やめていった子もいるらしいですね。無理もありません。大きい教会の子弟なら援助もあるのでしょうが、末端の場合は
早く逃げ出したいでしょうね。
 もともと教祖がご在世中は手弁当でお屋敷に通って、手伝いをしたり、お話を聞いたりしていたようで、それを現代に
当てはめ、保険もかけず、「ひのきしん」という名目で低賃金で働かせているのですから、続けようと思う若い人は、よほど
信仰的にできた人でなければ続かないでしょう。

他宗教信者さん

>私自身は神道系他宗教の信者ですが、天理教分教会の家族が知人にいまして、先日おやさとやかたや神殿に
>お邪魔しましたが、ただただ圧巻でした。


 圧巻だと感じられるほど建物は素晴らしいと思いますが、宗教で大事なのは建物ではなく、人々が生きていく上で
本当に正しい道なのか、役に立つものかどうかだと私は思っております。目に見える建物にだまされてはいけない
思います。

>こちらで皆様のご意見を拝読しましたが、教団組織、運営役員などへの批判内容が、私の宗教と瓜二つなのが非常に
>興味深く思わず共感しながら読み進めてしまいました。


 元々、神道本局部属の教会として教祖が亡くなったあとは、認可を受けているので、儀式的なことなど、ほぼ神道の
形式を踏襲している部分が多い教団です。生き残るためには仕方がなかった面もあるとは思いますが、戦後の自由な時代
になっても、それを修正していこうとはせずに、強固なピラミッドのような組織を作り上げ、教祖と教祖後継の本席亡き後は
教祖の思いとは違う方向にいっているのが、現在の天理教教団だと思います。

 こういったことは宗教団体に限らず、創業者一族の会社とか、どこにでもある話です。世襲制を取っているところは
後継者の育成で転んでしまうことが多いように思います。瓜二つに感じるのはどこも事情は似たり寄ったりなのだから
だと思います。

東風Zさん

>天理教社会学研究所さんの「記事一覧 記事以外へのコメント・ご意見等はこちらに」欄に、教会名はじめ担当教会長
>の個人名ほか関係者の個人名入りの投稿がありました。


 私もアクセスして、教会名抄録を調べて教会名と会長名を確認しました。全て実名ですね。ここまで書いてしまったの
だから投稿者の人もよほどのことがあったのでしょう。捜査も始まり、裁判にもなるようですが、先行きが気になる
ところです。
 以前の大教会乗っ取りの話題もその後、すっかり聞かないですから、また知らない間に闇の中へフェードアウトして
しまうのでしょうか。

ichimonji8810@excite.co.jp
 

去年まで御屋敷勤めをしていた人 さん

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年11月18日(土)20時06分5秒
返信・引用
  宿泊施設の利用や給付される食費なども給与と見なされ現金の支給が無くても実質的に現金に換算されて1カ月の総支給額とされます。
あなたの宿舎利用料や食費がどの程度の金額に換算されているのかは、本部の会計に問い合わされては如何ですか。本部の会計が答えてくれないのであれば、所轄の税務署に問い合わせてみてはいかがですか。58万円の所得があるということは地方税・所得税が課税されているはずです。
給与には、総支給額に課税されるのではなく、給与の額に応じて給与所得控除その他基礎控除・社会保険控除を始め身体障がい者であれば障がい者控除・所定額以上の寄付を、例えばユニセフに寄付すれば寄付控除も受けられます。1年間の給与・賞与の総支給額からこれらの控除を差し引いた後が所得となります。
従がいまして、総支給額と所得とは意味が違います。源泉徴収票にはこれらのことが書かれていますのでよく見てください。その上で給与が安いのか高いのかの判断をされるべきです。
次に、労働時間の問題ですが、労働基準法では1週間の労働時間は40時間と定めています。しかし、職種によってはこの制限が緩和されている場合もあり、一度労働基準監督署に相談されては如何ですか。
教団は、勤務者を労働者と見なしていない側面があります。特に、「ひのきしん」という便利な言葉があり雇用契約書を作成しなければならないなどの概念は持ち合わせていなでしょう。
その辺は、実にいい加減な取り扱いです。
いずれにしましても、御屋敷勤めに不審をもたれたのであれば、それぞれの関係機関(税務署や労働基準監督署)に相談されるのが疑問点の解決の近道です。
 

(無題)

 投稿者:崩壊  投稿日:2017年11月18日(土)18時11分33秒
返信・引用
   「御屋敷勤め」とおっしゃっても、具体的にどのような「労働」に従事されていたのか、私には察しかねますが、明らかに違法であると思われます。因みに奈良県の最低賃金を定めた奈良労働局のHPアドレスを以下にご紹介させていただきますので、一度、奈良労働局に相談されてはいかがでしょうか。

 http://nararoudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/hourei_seido_tetsuzuki/tingin/hourei_seido/02saiteitingin.html


 また、実際にあなたに支払われた金額と源泉徴収票の金額が一致しない場合、税法上の違法性も疑われるので、お住まいの管轄税務署にご相談されるか、弁護士等の法律の専門家に相談されることをお勧めします。どちらの市町村にお住まいなのか存じませんが、市町村役場では無料法律相談を定期的に開催していますので、ご相談されたらいかがでしょうか。

 

はじめまして。

 投稿者:去年まで御屋敷勤めをしていた人  投稿日:2017年11月18日(土)00時43分52秒
返信・引用
  はじめまして。私は去年まで御屋敷勤めをしていたものですが、すこし疑問に思ったことを書かせて頂きます。
御屋敷勤めをしていた時のことを地元の友達に話しました。するとその友達は労働基準法に違法しているのでは?と言っていました。働いていた当時はそのようなことは思ったことはないのですが、改めて言われると思い当たる節がいくつかあります。例えば1日8時間、週に1回の休みで2万円、源泉徴収票の所得の欄には58万円と書かれてありました。友達が言う通り、その職場は違法だったのでしょうか?因みに契約書や賃金の待遇についても直接職場で聞いたり、書類をいただいたこともありません。宜しければ皆さんの意見をお聞かせ下さい。
 

皆様へ。ご投稿後、承認までお時間をいただきます。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年11月18日(土)00時08分23秒
返信・引用
  皆様、いつも貴重なご投稿ありがとうございます。
この掲示板を作成してからはやいもので7年近くが経とうとしております。
本当に皆様のご投稿に勉強させていただいておりまして、感謝しております。

当掲示板は、荒らし防止のため承認制にさせていただいております都合上、
ご投稿いただきましても、即時には掲示板に皆様の投稿記事は反映されません。
承認までしばらくお時間をいただくことが多い旨、ご了承よろしくお願いいたします。
 

Re: Re:無題

 投稿者:ぶたまん  投稿日:2017年11月17日(金)23時33分19秒
返信・引用
  > No.3674[元記事へ]

先日、出稼ぎより帰ってまいりました。出稼ぎに行く直前に投稿させていただきましたので、慌てていたせいで、
誤字がありました。
「幸いな物」→「幸いな者」
「違うだる!」→「違うだろ!」に、それぞれ訂正させてください。

イエスの言った「貧しい人」とか「飢えている人」とかいった例を引き合いに出しましたので、ひょっとして
誤解を招き、東風Zさんにご迷惑がかかることがあったのではないかと、出張中ヒヤヒヤしていたのですが、
家に帰って東風Zさんのレスを読ませていただいて、それが拙文の文意を正しく読み取って書いてもらっていることが
解り、内心ホッといたしました。改めてお礼を言わせて下さい。レスをありがとうございました。

せかいぢうをふくくらするそのうちわ 一れつはみなもやのごとくや(六 - 14)
私は成人も鈍く、心にホコリを多く積んでいますので、何を見ても「もや」がかかっているようで、物の本質を
見極めることができません。

物の本質とか物の真の味わいとかいったものは、それなりの努力や修行をしなければ見えない、また味わえない
ものではないかと思います。
「水を飲めば水の味がする」というあの「水の味」もトコトン努力や苦しみや修行を経た人によって、初めて味わえる
ものと思いましたので、あのようなことを書きました。
 

はじめまして。

 投稿者:他宗教信者  投稿日:2017年11月17日(金)23時25分51秒
返信・引用
  私自身は神道系他宗教の信者ですが、天理教分教会の家族が知人にいまして、先日おやさとやかたや神殿にお邪魔しましたが、ただただ圧巻でした。

こちらで皆様のご意見を拝読しましたが、教団組織、運営役員などへの批判内容が、私の宗教と瓜二つなのが非常に興味深く思わず共感しながら読み進めてしまいました。

私自身、同じ信仰人として他宗教の教義や信者の方から学ぶ事はあると考えていますので、これからも拝見させていただきます。

よろしくお願いします。
 

ヤフオクでみかぐらうた

 投稿者:匿名信者  投稿日:2017年11月17日(金)22時37分55秒
返信・引用
  https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w180887998

ヤフオクで本部所蔵、明治3年発行のみかぐらうたが出されています。
お宝か?

 

宗教をビジネス化してはいけない

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年11月17日(金)21時02分15秒
返信・引用
  匿名さん
>新興宗教など教祖の金儲けの為に始めたくらいに思ってちょうど良いかも!

 他の新興宗教のことはよくわかりませんが、天理教の教祖は金儲けのために始めたわけではありませんね
いろいろ調べていけばわかりますが、金儲けどころか反対に人にどんどん施しをしています。お金にも物にも
執着はなかったようです。金儲けに走り出したのは教祖・本席亡きあと、一派独立を果たし教会本部ができ、
その後大正期に入ってからだと思われます。どうしてお金に執着し集めるのかと言えば、オウム真理教の例の
ように神ではなく人間が人間思案によって何かをしようとし、その為の資本として必要だったからだと思います。
本物の神であれば、そんなものは必要もないと思います。

 これは本物と偽物を見分ける一つの基準にもなるように思いますが、人間はあざないもので神と聞けば、
ありがたいと賽銭を出してしまい、自然と金が集まってくるのではないでしょうか。それが宗教ビジネスと言わ
れるものではないでしょうか。貯めこまずに世の為、人の為と溜まらないように、施しをするように使っていけば
誰からも文句も出ず、むしろ貢献したことを喜べるようになるものなのかとも思います。

 教祖が教えたことを、しっかり心に修め、お金が集まるようになっても、巨大な建物を建てたり、派手で無駄な
使い方をせずに、人の助かりを願い、そのための投資をしたりして、教祖のひながたを手本に施しをするように、この大きな
組織を動かしていっていれば、今のような教勢が衰退してるというようなこともなく、教えは世界中に広まり、神人和楽の
世界に近づけたのではないかとも思います。それは、まだまだ遠い先のことなのかとも思いますが。

RO さん
>「神の打ち明け場所」
→「神の打ち分け場所」のタイプミスでしょうか。細かいことで失礼いたします。

>未来には、お地場以外にも天啓者が大勢現れるのでしょうね。
>そうすればいやがおうにも、人々のこころがいさんでくるんでしょうね。


 過去にもけっこう現れていましたから、未来にも現れる可能性はあると思います。井手くには文久3年の生まれ
だそうですから、教祖が現身を隠した時には25歳ですが、神憑りがあったのは、それからずっと後で本席が出直し、
その翌年天理教が一派独立をした明治41年です。 これ以外にも教内、教外で例はあります。

 人間は本物だと自分が認識した時に仰るように「人々のこころがいさんでくる」ように思います。 SNSにあふれて
いるような不満、不足だらけの教団の中には神が降りようにも降りられないのではと、おふでさきを読みながら感じます。

また、えらそうな「こうまん」あふれた投稿になってしまいますが、思ったところを述べさせていただきます。
 

これは大変な問題

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年11月17日(金)16時08分43秒
返信・引用
  天理教社会学研究所さんの「記事一覧 記事以外へのコメント・ご意見等はこちらに」欄に、教会名はじめ担当教会長の個人名ほか関係者の個人名入りの投稿がありました。
もう、ここまで来てしまいましたね。さて、教団はどう出るのか。天理大学学長はこの教会と関係がある方ですよね。
もし公判ともなれば、教団お抱えの弁護士も出てくるのでしょうか。京都の裁判所での公判ならば近畿に住んでおられる方は傍聴も可能でしょう。
投稿内容が事実であるならば是非一見の価値があるのではないですか。近畿在住の方に期待します。
 

(無題)

 投稿者:ぶたまん  投稿日:2017年11月16日(木)11時26分4秒
返信・引用
  一読者さん
> 私の周囲には残念ながら、魅力的な人が一人もいませんでした。

はい、私の周囲にも、魅力的な人は一人もいませんでした。
「だんだんとをふくよせたるこのたちき よふほくになるものはないぞや」(三 - 49)
というお歌があって、その通りなんじゃないかと思った時もありましたが、しかしこのサイトを
見させていただきますと、そうでもないような気がします。
用木として神さまがお使いになられる人は、何人かいらっしゃるのではないか、と思います。

人類が今70億人いるとして、そのうち1人でも人間として合格点を与えてもらえる人がいたらいい、
という方(かた)がいたのですが、それって、1/7,000,000,000 の確率なんですよ。
ということは、6,999,999,999人の人がムダ飯(メシ)食っててもいいってワケでして、まぁ、神さまは
なんと気の長い方なんだろう、なんとムダ事がお好きなんだろう、と思いました。

それより何より、信仰は他人を見てどうこう言うより、自分で通ってみてどうこう感じるものと思います。
例えば、メロンを食べて「おいしい」という感想をもてるのは、食べている人だけではないでしょうか。
この味は食べなきゃ伝わらないと思います。

このサイトで色々談じ合っているうち、道が開けてくることもあるのではないかと思います。
その中から次世代の用木が育ってくれればいいなと思います。
 

(無題)

 投稿者:匿名  投稿日:2017年11月16日(木)07時56分43秒
返信・引用
  新興宗教など教祖の金儲けの為に始めたくらいに思ってちょうど良いかも!  

(無題)

 投稿者:一読者  投稿日:2017年11月15日(水)19時09分49秒
返信・引用
  私は、天理教の事があまり好きにはなれませんが、好きにもなれないような宗教なのに、魅力的に表現している人がいる事に驚きを感じながら、拝見させて頂いています。
魅力の無い人物が語るから、魅力の無い教えになってしまうのかもしれませんね。
私の周囲には残念ながら、魅力的な人が一人もいませんでした。
 

神の打ち明け場所

 投稿者:RO  投稿日:2017年11月15日(水)12時19分20秒
返信・引用
  未来には、お地場以外にも天啓者が大勢現れるのでしょうね。
そうすればいやがおうにも、人々のこころがいさんでくるんでしょうね。
 

Re: (無題)

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年11月14日(火)20時49分52秒
返信・引用
  匿名信者さん

 こちらこそコメントをいただき恐縮です。自分が読んで感じるところがあれば紹介するべきだと思っております。
この掲示板は300~400/日くらいのアクセスですから、多くの信仰者が見ているわけではないので、興味のある人に
紹介できれば、それでいい
のかとも思っております。

>長老の面々を前にした若い日の二代真柱、幾分かは遠慮をしていたかもしれませんね。
>自分が知らないことを聞く場だったからでしょうか。


 名前だけだと人間関係がわかりませんが、調べてみると二代さんが32と仮定したら、その年に山澤為造は出直し
ていますね。政甚も2年後には出直していますし、この数年後に高井猶吉も出直しているから、本当に最後の貴重な
座談会だったのか
とも思えます。上田嘉成、高野友治が20代ですから、古老の生の声を聞けたのはさぞや貴重な
体験だったと思います。結局、二代真柱が管長に就任してからは天理教学の研究を進め、東大宗教学出身の人間で
どんどん現在の教義が固められていったのかとも思いますが、はたしてそれは教祖が望んでいたことなのかは判断
できません。時代背景も影響していますし、国を相手にすることも多かったでしょうから。

>「うちわけ場所」に関してもご教示くださったお陰で、これまで聞いていたボンヤリと
>した内容が、初めて、教祖はこのような構想であったのかと座談会に引き込まれました。


 打ち分け場所の話は今の信仰ではあまり語られていないし、そんな話もあまり信仰者の間で出てこないようにも
感じています。その理由がどうしてなのか知りたいのですが、四国八十八か所のお遍路みたいですね。他所を回らせる
のではなく、おぢばへ参拝させることを優先させるためではないかとか邪推してしまいます。詳しい方がいたら教えて
ほしいです。

>自然死で、しかも「ぽっくり」逝けたら最高です。


 今の時代に長生きして楽しいことがあるのかとも思えます。核家族化で子供も少なく、兄弟で助け合って親の世話も
していかなければならない時代です。家督を継いで長男夫婦が面倒をみるということは、もはや昔の話になりつつある
ような感もします。戦前なら兄弟も多く、大家族で115歳まで長生きしてもボケもせずに暮らせたのでしょうが、
老夫婦のどちらかが認知症で病院通いをしていたり、独身の息子が認知症になった両親の世話をしたりという話もあり、
定命まで生きたいなどと誰が思うのかとも思えます。仰る通り「ぽっくり」が一番いいことなのかもしれません。

 ヨーロッパの中でも北欧は福祉関係が充実していると思いますが、ヨーロッパの先進国は日本の今のような状況を
一昔前から早く経験して、その対策をしてきているようにも思います。昔、ヨーロッパに駐在していてそれを感じました。
政府は税金を無駄遣いばかりし、官僚は我さえ良くばと不正を働いて蓄財したり、結局、国も宗教団体も皆、同じような
気もします。規模の違いこそあれ、人間の社会というのは欲にまみれた世界なのかとも感じます欲と埃にまみれたら、
どうもならん
ということを説いてきている教えなのに、何とも皮肉に感じています。えらそうなことを言いながら
私も欲と埃にまみれた生活をしていると自戒しております。日々のほこりをはらうことが大事なのかとも思います。

 しかし、最近のニュースを見ると教会本部が絡むとろくなことはないという感じです。前原議員然り、天理市長さん
然り、挙句に横綱まで、時報にまで載るような方々が不始末ばかりとはシャレになりません。これらの人々をネタに
SNSで記事を書いている会長さんもいるようですが、この人達を真のよふぼくにしていれば、こんなことにはなら
なかったようにも思えます。
 

(無題)

 投稿者:匿名信者  投稿日:2017年11月13日(月)17時38分41秒
返信・引用
 

一文字隼人さん、いつもながら、貴重な資料の紹介とご指摘、ありがとうございます。
生々しいまでの座談会記録ですね。

各人の年齢を、おおよそでもあっても、一文字さんが入れて下さったことで、一段と
理解の助けとなりました。お手間をかけて下さって感謝しています。
芹沢作品に出てくる、思いのままに生きたように見える二代真柱が32歳位ですか。
長老の面々を前にした若い日の二代真柱、幾分かは遠慮をしていたかもしれませんね。
自分が知らないことを聞く場だったからでしょうか。

「おつとめ」の21回の数の意味合いも案外、語呂合わせ的(?)と言っては何ですが、
「数の悟り方」というような感じに思えます。
どうかすると今、何回かが分からなくなる自分のような者には、少しホッとする話です。

「うちわけ場所」に関してもご教示くださったお陰で、これまで聞いていたボンヤリと
した内容が、初めて、教祖はこのような構想であったのかと座談会に引き込まれました。
まだお読みになっていない方もおられると思いますので詳細は読んでのお愉しみにしましょう。

ちなみに私が聞いていたのは、「四国の巡礼のような事を考えておられた」というだけの事でした。
なので、もっと広範囲の地域を巡り歩くのかと想像していました。


≫管長が高井猶吉にかんろだいについて教祖から何か聞いていないか尋ねる場面で、
「山澤はん、あんたきいてるやろ。」というのが面白いです。

・・・本当ですね。そして「山澤はん」は答えず、高井楢吉自身が話を継いでいく。
「生々しさ感」にあふれていますね。

≫私は自分の目に映るものは、すべて「モノ」に過ぎないようにも思います。

≫立派な甘露台を石で、教祖の教えた通りに作って、おつとめもしても、結局、不思議な「たすけ」や「りやく」が見え
 なければ何の意味があるのだろうとも思います。いろいろな史実を調べているとそんな気がしてきます。やはり「モノ」では
 なく、燃えるような信仰の炎と教祖を信じきってついて行った人の真実を神が受け取ったのではないかとも思います。

・・・そうですね、ご指摘を受けて、自分の事として反省すると、私の場合、
心の中で祈ることが形骸化しないようにしなければと思います。


自然死で、しかも「ぽっくり」逝けたら最高です。

 

甘露台座談会

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年11月11日(土)21時46分5秒
返信・引用
   天理教フォーラムの資料コーナー2に「甘露台座談会」という資料があります。おそらく昭和11年頃の「みちのとも」では
ないかと思うのですが、とても興味深いです。まずはリンクにアクセスし一読されてから、投稿をお読みいただければと存じ
ます。PDF形式なので、16ページ目からは現代文に修正されているので、そちらの方が読みやすいかと思います。

「甘露台座談会」
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou2/kanrodai/kanro1.pdf

 まず、出席者がすごいです。この管長様というのは時代的に考え、二代真柱のことだと思います。山澤為造、松村吉太郎、
高井猶吉、飯降政甚
というだけでも驚きですが、史料集成部から桝井孝四郎、上田嘉成、道友社から中山慶一、高野友治
いう錚々たるメンバーです。仮にこの座談会が行なわれたのが昭和11年とすればだいたい年齢は次のようになります。
(以下敬称略)

管長(二代真柱)    32歳位    飯降政甚(本席の息子)62歳位
山澤為造(管長摂行者) 80歳位    桝井孝四郎      42歳位
松村吉太郎       70歳位    上田嘉成       28歳位
高井猶吉        76歳位    高野友治       27歳位

 高野友治先生がまだ若い頃、リアルに会っていたというだけでもすごいですが、古老の生の話というのは興味深いです。
古老の話を統合すれば「おつとめ」の21回は明治15年の頃からそうなっていて、神道部属の教会になってから、はっきりと
21回と定められたようですね。高井猶吉の話では教祖存命時代から21遍やっていたようです。「ちょとはなし」はそれより
古く、明治7,8年頃のようです。

 明治15年といえば、教祖がおふでさき17号を出され、甘露台没収、我孫子事件などがあった頃ですが、それ以来、
石の甘露台が建てられた例はないのでしょうか。甘露台は木で作り、古くなっては作り替え、そのあげくに、つい
この前に倒されたりしています。天理教フォーラムの資料コーナー2の「甘露台」から「甘露台3へ」をクリックすると
石の甘露台が出てきます。寸法どおりに石で作ってあるようです。 これなら簡単には倒れないでしょう。

 高井猶吉の話によれば「かんろだい」の意味合いは二つあるようです。一つは「人間はじめた元のやしきであるという
証拠」
もう一つは「人間創造の理をかたどったもの」ということのようです。

 私は自分の目に映るものは、すべて「モノ」に過ぎないようにも思います。石屋に頼んで寸法どおりに切り出して甘露台を
作ることもできます。大工に頼んで木で作ることもできます。礼拝のシンボルとして模型を作り、拝むことも、おつとめを
勤めることもできます。儀式のやり方は教祖の教えた通りにすべきだと思いますが、問題はそれを勤める人衆の心にあるの
ではないか
とも思います。

 おぢば以外で甘露台を立てて、かぐらづとめをしたら教会本部からすれば異端扱いでしょう。しかし、差し止めるとか
取り払うということもできないでしょう。包括関係もないでしょうし。天啓者がいない現在、「とりはろうてこい」とも
神が言うこともないでしょう。四代真柱の耳にも入っているのだろうか。

 立派な甘露台を石で、教祖の教えた通りに作って、おつとめもしても、結局、不思議な「たすけ」や「りやく」が見え
なければ何の意味があるのだろうとも思います。いろいろな史実を調べているとそんな気がしてきます。やはり「モノ」では
なく、燃えるような信仰の炎と教祖を信じきってついて行った人の真実を神が受け取ったのではないかとも思います。

 高井猶吉は雨乞いのつとめを何度もやり、雨も降らし、教祖の命で赤衣を持っておたすけにでかけ、不思議な助けを何度も
経験したはずです。字が書けないだけに教祖直々に教えを聞いて心に納めていたと思います。

 以前、ぢば定めのことについても投稿したことがありますが、明治8年ぢば定めで本当に足が止まったのは教祖、仲田
儀三郎、留菊の三人だけだった
と高井猶吉は言っています。そうなると教典とは違うことになりますが、謎です。
 管長が高井猶吉にかんろだいについて教祖から何か聞いていないか尋ねる場面で、「山澤はん、あんたきいてるやろ。」と
いうのが面白いです。その後、「うちわけ場所」の話に移っていきますが、31か所のうちわけ場所を回って甘露をいただ
けば寿命が115歳まで引き延ばしてもらえるようです。

 しかし、時代の流れで115歳まで生きても、現代社会ではどうなのかとも思えます。少子化高齢化で世話してもらえず、
子や孫にやっかいものとして生きながらえるのなら、むしろ適当なところで息を引き取ってもらうのもご守護のような気も
します。難しい世の中になっているような気がします。

ichimonji8810@excite.co.jp
 

天理教の終焉

 投稿者:崩壊  投稿日:2017年11月11日(土)16時59分12秒
返信・引用
   天理教に限らず「宗教離れ」はグローバルな規模で進んでいます。特に天理教のように世間的にも評判がよろしくない数々の新興宗教が近い将来、終焉を迎えるのは火を見るよりも明らかです。  

Re: 資料はあふれている

 投稿者:いほり  投稿日:2017年11月11日(土)09時31分14秒
返信・引用
  > No.3684[元記事へ]

昔の人は「かんろだい」ではなく「かんろうだい」と呼んでますね。
 

(無題)

 投稿者:通りすがりの人  投稿日:2017年11月11日(土)07時51分18秒
返信・引用
  その日は無理という方のためにこういうのもありますよ。

以前のこの東京カテドラル聖マリア大聖堂での「荘厳司教ミサ」のYoutube動画。
35までありますがミサ進行全て網羅しています。(年によって一部変更がありますが)

https://www.youtube.com/user/CatholicAction/videos?flow=grid&sort=da&view=0


またYouTubeで「Vatican mass」で検索すると、バチカンのお参りの動画がたくさん出てきます。
もうすぐクリスマスですが去年のクリスマスミサの動画もあります。天理教本部のお参りを知っている人がみると面白い点を多く発見できるかもしれませんね。天理教を棄教した人も、現役信者でいる人も、世界最大の宗教団体の本山のお参りを見るのは大変勉強になることでしょう。
世界最大の宗教団体のお参りを客観的に見ることで、天理教のよさもまた見えてくるかもしれませんし。
 

(無題)

 投稿者:通りすがりの人  投稿日:2017年11月10日(金)19時25分42秒
返信・引用
  ラテン語のお参りに興味を持っておられましたので、ここに情報を出しておきますね。


明日11日に珍しいラテン語・グレゴリオ聖歌での荘厳司教ミサが行われます。
お時間がある方はどうぞ。(未信者の方でも参加できます。ラテン語が左ページで右ページに日本語の対訳のあるけっこう厚い冊子がもらえるのでミサ式次第もわかりやすいです)
祭壇右上には進行に合わせてこの冊子のページ数が表示されます。

入場料等はありません。
寄付金用茶封筒が入り口で配られて、ミサ中に寄付金の大きめの籠(もちろん透明じゃありませんよ)が回ってきてこの封筒を入れる仕組みですが、金銭に余裕がなかったら小銭程度でかまいません。
ミサレット代として1000円くらいは入れてほしいとの話ですがあくまで希望です。


http://www.tim.hi-ho.ne.jp/catholic-act-d/Web/27thmassinfo.html

2017年11月11日(土) 午後2時(ミサ開始前の聖母の連祷が1時40分 より)
場所: 東京カテドラル聖マリア大聖堂 (地図)
http://tokyo-cathedral-wedding.jp/contact/access/
 

バーチャル世界

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年11月 9日(木)21時02分5秒
返信・引用
  はぐれ雲さん

 投稿を読んで何とも返す言葉がありません。不幸の連鎖とか、負のスパイラルというような言葉で表現するには
違和感さえ感じます。ですから何と感想を述べたらよいのかもわかりません。

>母も、お筆先や書物、天理教発行書を読み。勉強はしていたと思います。
>ただ、それを文字のままに伝えたところで。伝わるわけがないのです。
>言と動が伴っていないからです。


 このお話を読んで、すぐに思い浮かんだのが、この掲示板が始まった当初に書いた所属の大教会長のことでした。
仰る「言と動」が伴っていない典型例でした。講話で話している決まりきったセリフをお涙頂戴ばかりに語り、実生活は
貴族そのものという暮らしです。こういったことは昔はその系統だけの人の話で伝わりもしなかったでしょうが、ネットも
発達した現代ではSNSを通じて他の系統の人にも伝わるようになり、まがいものは残れない時代になったと思います。

>確かに僕は、天理教の勉強をしませんでした。でも、人として、家族の一人として。
>働き生活を支えてきました。


 ご立派で素晴らしいことだと思います。天理教の勉強をしなかったというのは皆、同じだと思います。なぜなら我々の
親世代が勉強してきた教理に関するものは、歴史的に見て既に骨抜きにされたものばかりだからだと考えています。
それについては芹沢光治良が教祖様の連載の時に二代真柱のまとめた教典、教祖伝のことを批判した通りだと私も思い
ます。信仰の火が消えていった原因ではないかとも考えています。

>勉強不足の僕が天理教を非難する。上級、部内の会長達は、勉強不足だと指摘する。
>勉強不足だろうが、僕がみてきた理不尽も。天理教の一面なのです。


 上級、部内の会長さんたちはどれほど勉強されたのでしょう。人に勉強不足だと指摘するほど勉強されたのなら
人格的にもさぞかし立派な方だろう
と思いますが、はぐれ雲さんが理不尽を感じていたのですから、たかが知れた
勉強だったのではないでしょうか。多くの人が同じような経験をされてきたと思います。私もその一人です。ですから
自分でとことん調べて、どうしてこのようなことが起こるのかとその原因と経緯を調べ上げないといけないと思いました。
やはり東大の派閥で固めた二代真柱以降の体制が負に働いた証拠だと思います。

 教団の中で「天理貴族」と揶揄されるような大教会長とその家族ができたのも、全て二代真柱以降の体制からできた
ものと言って過言ではないとも思っています。大教会長と言っても現在大教会は159で、そのうちで大教会長が本部員に
登用されているのは一部でしょう。規模が大きく、別席者数もお供え額も多ければ登用もされるでしょう。言い換えれば
如何に人集め、金集めが上手にでき、それを本部に運べるかが出世の基準になっていた面も決して否定はできないはずです。
私の知る限りではあの大教会長もこの大教会長も、、、。罷免になった大教会長もいますね。

>天理教の行く末を考えて、信仰している方々は少ないのかもしれません。
>焦っているのは、上納金が集まらなくなると困る、上層部の人々だけだと思います。


 天理教の行く末を考えて研究したり、真実を求めようとしている人はいますよ。またそういった動きをしている人も
けっこういると感じています。ただ、スタンスがバラバラで混沌とした状態が今なのではないかとも感じています。
八島氏を信奉する方々もいれば、研究会などを定期的に開いている方々、或いはどこにも所属せずに独自で調べている方など
いろいろだと思います。道を求めずお金の心配ばかりしている輩は間違いなく淘汰されていきます。

 私は派閥が嫌いです。組織が嫌いです。まったく人間のやることですから、集まるとろくなことがないとも思います。
志を同じくする者が集まり、意見交換をするのはおおいにけっこうなことだと思いますが、リアルに集まると本音が言えなく
なるのも、リアル世界の弱点だと思います。立場がある、学歴に差がある、見た目が強面、声が大きい、等々の諸条件で意見が
言えない人もリアル世界では出てきます。バーチャル世界で匿名で本音が出るから、話を煮詰めていくこともできるのでは
ないでしょうか。


ichimonji8810@excite.co.jp
 

資料はあふれている

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年11月 8日(水)20時55分51秒
返信・引用
   情報化社会になり、ネット上にはありとあらゆる情報が流れています。天理教のことを調べるにも参考になるサイトも
どんどん増えています。教理面で調べたいことがあっても昔なら図書館へ行って調べなければならないことも今では自宅の
パソコンで簡単に調べることもできる世の中になってきました。

 情報は取捨選択することが大事だと思います。既にご存知で読まれている方も多いと思いますが、教理面で勉強になると
思うので、ご参考までにいくつか挙げておきますのでご覧ください。

「天理教教祖中山みきの研究」
 れんだいこさんのサイトの一つです。このサイトの下の方にある別章のそれぞれの項目は読んでいて面白いです。
天理教の歴史的な事件に関するそれぞれの考察も興味深いです。 このれんだいこさんのサイトに書かれていることは
本当なのかと出典として書かれている文献などもいくつか確認して読んでみたりしてましたが、私は十分に信頼できる
サイトではないかと思っています。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/

「教祖中山みき略伝」
 同じくれんだいこさんのサイトの中に一つですが、「教典・教祖伝」を読むより、こちらを読むほうが詳細で読んでいて
興味深いです。よくここまで調べ上げたものだとも感じますが、情報の一つとして一読の価値はあると思います。全部読む
のは大変ですから興味の湧いたところから読んでもいいかと思います。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/mikiryakuden/mikiryakuden.htm

「お筆先」
 これも同じくれんだいこさんのサイトの一つで「おふでさき」について知見を増やしたいと思ったら是非、読んでみて
ください。特にリンク先の下にある「執筆年代考」を読めば、おふでさきの概観がわかると思います。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/rironco/ofudesakico/shippitunendaico.htm

「天理教フリーフォーラム」 
 貴重な資料も公開されています。「おふでさき私考」も興味深いです。ここの資料コーナーは必読です。資料コーナー2
の「甘露台」、その中でリンクされている「甘露台1.」「甘露台2」「甘露台3」は甘露台のことを知りたい人は必読です。
また興味深いのは「甘露台2」の中の下のリンクで、「甘露台座談会」がありますが、これは読んでみる価値はあると思い
ます。それから資料コーナー2の「天保9年(立教)以前の中山家」も研究している人には必読だと思います。

http://www.yousun.sakura.ne.jp/index.html

 この他にも個人のブログなどもたくさんありますが、紹介しきれないですし、個人の解釈なども多分に入ってくるとも
思えます。アクセスして読んでみて心に修まるものがあれば、それでいいですし、更に自分でも調べて道を求めようと
すればいいのかとも思います。

 とりあえず、四つ紹介しましたが、リンクを辿って読んでいくだけで膨大な量になります。情報化社会の現代で情報を
読み解き、自らの信仰生活に役立てるのは自然な流れ
だと思います。神が人々に与えた道具の一つだと思って活用される
ことも意義があるのではと思います。鵜呑みにするのではなく、読んでそこから考えることが大事なのかとも私は思います。

ichimonji8810@excite.co.jp
 

(無題)

 投稿者:RO  投稿日:2017年11月 8日(水)20時40分28秒
返信・引用
  感謝と喜びと優しさの外にいる時は、心が神から離れているのだろう。埃が立つのはそんな時なんですね。
一般の生活空間ならいざ知らず、宗教施設や宗教人に近づいて埃が立つのなら、遠くから眺めている方が健康にいいと思うんですが、教会関係者はそうもいかず、気の毒です。
この宗教の上層部は、つくづく罪が深いなぁとため息が出る事があります。
現在の教会本部でも、無いよりマシなのかどうなのか、神様に聞いてみたいですね。
 

無題

 投稿者:はぐれ雲  投稿日:2017年11月 8日(水)15時58分25秒
返信・引用
  一文字さん。

温かいお言葉をありがとうございます。
そして。
一文字さんの、真実を追求する熱量が文面に伝わってきます。
天理教の中でも、真実を追求され信仰している方々も、沢山にいると思います。


自分事としての文面になります。
当時、母を介護し看取り送り出して…。
独り、涙が沢山溢れることが、多々ありました。
しかし、年月が過ぎると共に。
冷静と言うか、物事を静観して振り返ってみると。
恨み辛みは、消えるものではありませんでした。

母を介護している時。
母に、母はどのように天理教を継いだのか、会話もしました。
母も父親である先代会長に、強要、強迫されたらしいです。
親とは思えない、言葉も浴びせられたらしいです。
そんな経験をもつ母でも。
同じことを僕に繰り返し、天理教を強要したわけです。

母は、上級、同部内会長の前では、平気で手のひらを返す人でした。
前の日に話し合ったことを、次の日には覆す人でした。
天理教世間体をとる人でした。

結局のところ。
僕が思ったことは。
「被害者が加害者に変わる天理教」です。

母も、お筆先や書物、天理教発行書を読み。
勉強はしていたと思います。
ただ、それを文字のままに伝えたところで。
伝わるわけがないのです。
言と動が伴っていないからです。

確かに僕は、天理教の勉強をしませんでした。
でも、人として、家族の一人として。
働き生活を支えてきました。

勉強不足の僕が天理教を非難する。
上級、部内の会長達は、勉強不足だと指摘する。
勉強不足だろうが、僕がみてきた理不尽も。
天理教の一面なのです。
でも、宗教とはそれほどに、教えというものに。
固執するものなのだろうか。
神を語る前に、人間らしくなければ。
人間は、神様の作った、ただ人形になってしまいます。

信仰とは、神とは。
支えであり、戒めであり。
でも、頼ってはいけないような気もします。
そして、支え合い、寄り添い、戒められるのは。
人間同士だと思います。

今の天理教も。
言と動が伴っていない。
学習能力のない天理教体制。
お供えばかりを求める天理教体制。
離れていく人々が多いのも頷けます。

案外にも。
天理教内の天理教人の方々も。
天理教の行く末を考えて、信仰している方々は少ないのかもしれません。
焦っているのは、上納金が集まらなくなると困る、上層部の人々だけだと思います。

でも、天理教が衰退し消滅していくのも。
自然の摂理なのかもしれません。
天理教は、昔にやり過ぎました。
過ちを犯しつつも、認めず。
改革も後整理もできない天理教組織。

小学生でも、清掃、後片付けは学校で習います。
人の道を説く天理教組織が。
清掃、後整理もできないならば。
その言葉は、誰にも伝わらないでしょう。

今日のこの時でも。
天理教に感謝している人もいます。
今日のこの時でも。
天理教に苦しんでいる人がいます。

においがけ、お助けなどよりも。
天理教内部の改革が先決なはずです。

言と動が伴わない天理教体制。
清掃、後整理の出来ない天理教体制。
学習能力のない天理教体制。
差別も格差社会がある天理教体制。

今の天理教に、神や人の道を説けるのだろうか。
 

無題

 投稿者:はぐれ雲  投稿日:2017年11月 6日(月)20時50分59秒
返信・引用
  僕にとって、天理教は膿だ。
一生涯消えることのない膿だ。

宇宙、自然、世界の森羅万象が神だ。
神とは、信仰とは、海で在って欲しい。

陽が登り、陽が陰り、月が光る。
朝起きて、夜眠る。
眠るときに、色んなことを考える。
今日の終わりの明日の始まり。

天理教という、神が居るのか居ないのか。
あやふやな人間集団の中で。
上っ面の宗教団体の中で。
色んな人々の人間模様がある。

衰退し消滅していく天理教。
過去にどれ程の人々の人生や家庭が。
天理教により、壊されたのだろうか。
天理教が膿となってる人々がどれだけいるのだろうか。

天理教は、人を使い捨てて成り立っている。
救われた人々もいるだろうけど。
でも、使いふるされた人々の方が多いと思う。

使いふるされる末端部。
上納金集めに懸命な上層部。

天理教にとって、親とは何か。
親神さま、おやさま。
そして、悪の根源な制度の理の親。
理の親の人に、手をさしのべられたことなどない。
温かい言葉などかけられたこともない。

世間、一般家庭では。
親は、四苦八苦し、自己犠牲をし、子を育てる。

天理教は、理の親は。
何者?何物?
何代も前の、今となっては関係のない人間関係をことを。
理の親だと、偉ぶる言葉を投げかける。
響くわけも、伝わるわけもない。
本部の手先だけでしかない。

人助けとは、本当に苦労もするし、自己犠牲もする。
天理教に、人助けを言う資格はあるのだろうか。

天理教に、「親心、子孝行」という感情はあるのだろうか。
 

今は情報化の時代です。

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年11月 6日(月)20時13分16秒
返信・引用
  はぐれ雲さん

>僕も本当は、教会など捨て。自立して、他の場所で住むことも出来たのですが。
>家事も育児もままならないような母でも。置いて出て行くことは出来ませんでした。


 親孝行は神が受け取ってくれるものだと思います。けっして間違った道を選ばれたのではないと思います。
母に関しては私も同じようなものです。十年以上前に見送りましたが、病気がちだった母に対し、充分な孝行が
できたのかわかりませんが、やれることはやってきたつもりなので心にひっかかる思いはありません。

>そして、天理教の中でも、天理教世間体があって。言いたいことも言えず。影で影口を言い。他の人の前では、
>言い天理教人を演ずる教会長もいました。上級に何円御供えしたとか。別席、修養科が何人とか。天理教世間体が
>ありますし。


 仰りたいことは本当によくわかります。陰口をたたくことはよくないですね。反対に陰で人のことを褒めていたら
いいのに
と思います。目途にするものが間違っているとそういったことが起きるのかと思います。人が目途になっている
と平気で陰口も言えるような人間になってしまうのではないでしょうか。神が目途なら怖くて、恥ずかしくて慎むように
なると思います。

>特に、上級~上層部の神様話は、もううんざりでしたし。母の神様信心にも、うんざりでした。

 私も母の生前中に信仰の話をよくしました。今から思うと、それなりに本も読んで教理の勉強もしていたのだと
思います。自分が思い立って史実や教理に関して詳しく調べてみようといろいろな文献を当たるうちに多くの信仰
している人が純粋な気持ちで信仰を求めていたのだろうと感じました。しかし、教理を心に修め、実践している人と
うわべだけの人の書いたものでは心に訴えてくるものが違う
ように感じます。

 今は時代が変わり、インターネットも普及し、情報が瞬時に伝わる時代になり、情報があふれる時代になりました。
あふれる情報から本物と偽物を見分ける能力も必要だと思いますし、鵜呑みにしてはいけない時代だとも思います。
教理に関することでも心に修められるものと為政者の都合によって歪められたものとを見分ける能力もいるのかと
感じます。うんざりと感じるものに関しては自分で検証していくことが大事だと思っています。私がこの掲示板に
投稿したいくつかのものはその「うんざり」した話が本当なのか信じるに値するものなのかを自分なりに調べて投稿
しています。皆がそうすることで真実は見えてくるのではないかとも考えています。

 「復元」にしても「研究ノート」にしろ、書かれていることに裏付けとなるものを調べ、自分で納得し、心に修まったら
実践していけばいいのかとも思っています。おふでさきにしても書かれた時代の背景やその当時のおやしきに関係していた
人物、国家の動きなどを把握したうえで読んでいけば、興味深いものだと感じています。意味も分からず、ただお経の
ように唱えるものだとは思いません。形骸化していることが天理教の中には多いのではないかとも思います。「お供え」に
しろ「おつとめ」にしろ元を調べ、なぜそうなったのか、どう変化してきたのか調べていくと、自分がどう進むべきなのか
見えてくるような気がします。

 読み返してみて、えらそうに何を言ってるのかと恥ずかしくなってきます。あと何年生きられるかと思うと自分が調べ
られることなど、たかが知れているとも思います。何も悟れていないのじゃないかとも思えます。しかし生まれ変わりの
教理を信じているので、生まれ変わっても好奇心が強く、仕事も遊びも自分で納得いくまでやらないと気が済まない
性格だけは残しておいてもらいたいと神に願います。

ichimonji8810@excite.co.jp
 

(無題)

 投稿者:通りすがりの人  投稿日:2017年11月 6日(月)06時57分31秒
返信・引用
  2017年11月 5日(日)23時22分36秒さんの投稿を見て、プロテスタント教会の子供と同じだと思いました。宗教改革の最大の失敗は聖職者の出家制度をなくしたことなのだそうです。カトリックは出家ですので家庭という重荷を負うことがありません。ついでにいえば神父は「道一条(宗教専業)」でやっていきたくても、ほとんどは学校等を運営しているのでわかるように、平日の昼間は教師等の世俗の労働をしています。

天理教の場合は出家制度がありませんので、家庭という重荷を持つわけですが、これは教団の世襲や教会の世襲を生みますので、決してほめられたものではないと思います。
道一条でやっていきたいなら家庭を持つべきではありません。家族を犠牲にしてまでやる価値なんか宗教にはないのですから。
 

任侠道

 投稿者:RO  投稿日:2017年11月 6日(月)03時00分59秒
返信・引用
  弱きをたすけ強きをくじく。
昔の任侠の道でさえ弱いもの虐めを戒める訳ですが、
今の天理教は、本部人事の誤謬のせいで、弱者にしわ寄せがきてる事は否めませんね。
継子殺し宗教にならない事を祈ります。

 

Re:

 投稿者:はぐれ雲  投稿日:2017年11月 5日(日)23時30分24秒
返信・引用
  一文字さん

コメントのありがとうございます。
一文字さんは、熱心に史上、史実を調べ。
天理教の道筋の源求を求めて。
素晴らしい、熱量をお持ちだと思います。

僕は、残念ながら。
お筆先の一行も覚えておりません。
お筆先も、上級に住み込んだ時に、拝読したぐらいです。

当時の上級の会長には。
「もっと、天理教を勉強しろ!」と怒鳴られましたが。
「神だ、お筆先だ、言う前に。もっと人としてやるべきことがあるだろう!」と、言い返す。
僕は部内では、問題児な跡継ぎのでしたので。

僕も本当は、教会など捨て。
自立して、他の場所で住むことも出来たのですが。
家事も育児もままならないような母でも。
置いて出て行くことは出来ませんでした。
今思うと、それが優しさなのか、弱さなのか。
出て行けなかった自分を後悔しております。

同部内で、天理の高校から~本部勤務までして。
地元に帰ってきて、教会活動もしない後継者も何人もいました。

こんな僕でも。
学生会、修養科、上級の住み込み、教区の青年会、などには参加しましたが。
色々感じることもありました。

天理教人の天理教体制に対しての、改革の熱量の無さ。
そして、天理教の中でも差別はあります。

僕の住む地域でも、介護施設を運営してる教会もありますが。
何故か、その教会長は、鼻にかけて、施設をやってる!と言い広めます。
そして。
地域には、信者も数人、0、の立ち行きの行かない教会も多いです。
天理教の中でも格差社会があります。

数十年、天理の教会に生まれ育ち。
天理人の信仰の熱量のなさに。
良い人を繕おうとする人たちに。
上っ面の人間関係に。
天理教とは、何を伝えたいのか。
集金目的の集団にしか思えませんでした。

そして、天理教の中でも、天理教世間体があって。
言いたいことも言えず。
影で影口を言い。
他の人の前では、言い天理教人を演ずる教会長もいました。
上級に何円御供えしたとか。
別席、修養科が何人とか。
天理教世間体がありますし。

宗教団体の中に神様はいないよ。と僕は思いますが。
でも、案外に。
無宗教、無信心な方々の中には、神様はいたりする気もします。

天理教人が、神様神様と言うほど。
神様が薄っぺらくなっていく気がします。
特に、上級~上層部の神様話は、もううんざりでしたし。
母の神様信心にも、うんざりでした。

天理教の衰退は止めることはできないし。
止める必要はないのかもしれない。
でも。
天理教だからこそ。
政治、与野党さえ出来ない。
組織体制改革ができれば。
世間も天理教人も。
天理教を必要とし。
掲示板であがるような、天理教の道に。
信仰の勉強や熱量も表れるかもしれない。

ただ。
衰退は止めることはできない。
ならば、泥舟にのり続け。
嫌な思いをしたり、御供えを強要されるような。
天理教被害者を減らすことを考えたいし、発信したいと僕は思っております。

人それぞれ。
信仰の立場や熱量、スタンスがあります。
お筆先もろくに読まなかった僕でも。
掲示板に声を届けるきとは出来ます。

今日の出来事、思ったこと。
些細なことでも。
掲示板に声を届けてみませんか。
意味はないかもしれないし、自己満足なだけかもしれません。

でも、現天理教、元天理教。
同じ天理教の中で、沢山の問題点があります。
そして、子供や若い時期に受けた傷は。
大人になっても、残り、膿となるときもあります。

沢山の様々な声を。
掲示板に届けて欲しいと思います。
 

社会学コメント欄の さびしかったんだよさんに同意することばかり

 投稿者:匿名  投稿日:2017年11月 5日(日)23時22分36秒
返信・引用
  さびしかったんだよ

2017年11月5日 10:48 PM


私の家は末端教会で会長の父親は道一条というやつで勤めはせず収入ゼロ。子供の頃、月並祭、婦人会、上級などを合わせると月に5日から6日は祭儀にとられ親の意識は完全に天理教に、、、また自教会の信者の事に必死で当然意識を取られていて親子のコミュニケーションなど皆無、ろくに会話も無い、、、遊んでもらった記憶や抱いてもらった記憶も無い、、、子供は放っておいても育つ!の考え?今風にいうと軽いネグレクト?
優先順位が信者の方が断然上なのだ。

私はもういい歳をしたオッサンですがいまだに愛に飢えた感じが有り人生に暗い影を落としていると思われます。(いまだにさびしい気持ちが残っています)
現在の教会では親子のふれ合いは大事にしていると思いますが本当に優先順位は家族をいちばんにしてほしいというかするのが当たり前だと思います。
特に幼少期の子供に対しては充分かまってあげてほしいと、、、
人が成長する上で一番大事な事でしょう。

自分の家族すら守れないヤツに何ができる?
人様をたすける?地に足がついていない、、、
案の定、現在の教会からは人の姿は消えました。
ちなみにいとこも教会なのですが子供が多くて案の定愛に飢えている状態なのがわかっていました。
表情に愛情飢餓感が思いっきり出ていたのです。
結果、道を外してしまい苦しむ事になりました、、、
結局、弱い子供が天理教会の犠牲になってしまいました。誰かの犠牲の上に成り立ってきたと言っても過言ではないでしょう。
本当に悲しくさみしい事ですがこれが現実なんですね。
 

一人一人の成人が大事なのでは?

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年11月 5日(日)21時26分18秒
返信・引用
  通りすがりの人さん

>生駒に行くとあったりしますよ。一時期はそれなりにはやっていた新興宗教が、教祖の死後はみんないなくなって
>廃墟になっているなんてのが。


 伽藍仏教と同じですかね。仏教のそんな歴史があるから新興宗教と言われる幕末からの宗教は同じ道を歩まないように
してたのではないのですかね。結局、人間がやることというのは同じなのかとも思えてきます。
人が集まり、組織ができて金も集まると同じ道を辿ってしまうものなのかとも思えて嫌になります。

 そもそも教祖は教団を作れとも教会を作れとも仰ってはいなかったはずで、井出クニにしても日に百人くらい助けを
求めてくる人達を助けはしても教団を作って組織的に運営していこうとはしなかった
ようですね。教祖と同じく、不思議な
力でどんどん人を助けるから警察にも連れて行かれたりしたようですが。 いったい教祖は何回、監獄にご苦労くださるのか。

 人間は「寄らば大樹の陰」で大きい組織や見かけの大きい建物とかに心を奪われてしまうものなのかとも思いますが、
大事なのは立派な建物でもなく、数字を誇るような組織でもないのかもしれません。自教会も普請をする前は本当に古い
小さい建物で隙間風が入るようなところでしたが、役員、信者、皆の真実で立派な教会になりました。しかし、時が経つに
つれて、参拝者も一時ほどではなく高齢者ばかりが目立つ状況です。教会本部と同じことをしていてはだめだと思う
この頃です。やはり建物ではない。きり無し普請というのは実物の建物ではなく、人々の心のふしんではないかとも
思いますし、それをやらずして立派な建物を建てる普請をしていたら、人々は離れていくものだとも思えます。


つとめ場所さん

>今回の「天理教団がおかしくなる節目」についてですが、個人的意見としては『明治教典の発行』が大きなポイントだ
>と思います。


ホントですね。すっかり抜け落ちていました。私も大きなポイントだと思います。ありがとうございます。

>明治政府が推し進める天皇を神とする国家神道の教義をそのまま取り入れた内容であり、明治教典発行以前に伝えられて
>いたであろう『みかぐらうた』や『おふでさき』の話や教えが全て吹っ飛んでしまうような内容です。


 当時の人はどんな思いだったのでしょう。我々からすればひいじいさん位の世代だとは思いますが、想像でしか
ありませんが、教祖の教えを伝えたら非国民とか言われてたのかもしれませんね。正しいと思ったことがその時代の流れで
真逆であったらたまりませんね。明治教典についてもまた調べてみます。

>そんな状態が終戦までの2~3世代、代替わりするまで続き、その間に自らの私腹を肥やし利権を手に入れた上層部の
>人間たちが、戦後に『復元』などと言われても何ら協力も進展もさせずにいたのは当然なのかもしれません。

 皆がそうだったとは思わないのですが、戦争が終わり平和な世の中になった時にこそ、教団の安泰を図るためにいろいろ
決めるのではなく、教祖が通った道をもう一度、検証し、進むべき道を示すべきだったのではないか
と私は考えます。
「貧に落ちきれ」とか「水を飲めば水の味がする」と、その経験もない会長が部内の教会長や信者に言うのはあまりに
おこがましいように子供の頃から感じていました。

 私は貧に落ちきり、それでも人を助けることに専念し、水を飲めば水の味がするとまで感じられるくらいになったら、
愛町の初代のようになれるのかとも思いますが、凡人の私にはとうてい無理な話です。ましてやそんなことを、どこぞの
お偉いさんに言われたら、「あんたに言う資格はあんのかえ?」と聞こえるようにつぶやいてしまいます。

 人種を越え、地上のすべての人に受け入れられる普遍の教えであるのなら、道は世界中に間違いなく伸びていくはずです。
しかし、真柱を神のように崇め、ピラミッドのような組織で目に見えない身分制度のようなものがあり、そのピラミッドの
上にいくほど、教理とは離れた生活をし、下に向かっては自身が実践もしていない教理を説くようでは到底、海外で受け入れ
られるものではないとも思います。海外には323の教会があるようですが、日本にある約16.000の分教会の方が心配な状況を
本部はどう考えているのだろうかと思います。

ichimonji8810@excite.co.jp
 

Re:無題

 投稿者:東風Z  投稿日:2017年11月 5日(日)19時45分51秒
返信・引用
  ぶたまんさん

仰る通りですね。あの時のタイコ焼きの味は今も忘れていません。現在もあのタイコ焼きは天理本通りで売られていて、天理に行ったときは必ずといっていいほど買うんですよ。
棺桶に片足を入れた年齢になりましたが、お陰様で食べ物の好き嫌いが一切なくつつがなく過ごしています。
ただ、お与えという言葉が出てきて少し反発を感じました。せめて、お手当くらいの表現に出来ないものでしょうか。お与えという表現に上から目線的なものを感じているんです。
常々天理教用語に違和感を持っていたのですが、久しぶりにお与えという言葉に出会って、常にひもじい思いが付きまとい、結核を患ってしまい死に直面したあの当時の苦い思い出がよみがえり投稿をした次第です。
 

(無題)

 投稿者:通りすがりの人  投稿日:2017年11月 5日(日)14時59分42秒
返信・引用
  >神様は人間が空腹に泣いている様子を見て、「慎ましい生活をしている」と、お喜びくださってるでしょうか?
金光教では「ひもじい思いをして信心しても神は喜ばない」という教えがあります。天理教のおやがみ様は末端信者の人たちがひもじい思いをしているのを喜んでいるのでしょうか?

>神様は人間が空腹に泣いている様子を見て、「慎ましい生活をしている」と、お喜びくださってるでしょうか?
信仰生活は死ぬまでとなれば長いお付き合いになります。つまり時にはグルメやショッピングや旅行やコンサートを楽しむことも、長い信仰生活をまっとうするために大切なことなのです。

>決して贅沢では無い余裕のある生活でさえ、何か悪いことのように思い込まされる。そして、お供えの要求。
これは天理教の信者だけではありません。カルト新興宗教の信者なら全員がそうです。たとえば買い物に行くと言ったら「クリスチャンらしい買い物(たとえばキリスト教書店で買い物)をするならいいが、服やアクセサリーやケーキなんか買うのは聖書的ではない。聖書的でない行動をしてイエス様が喜ぶと思っているのか?そんな金があるなら献金にまわせ!」と怒鳴られたなんてケースがあります。

>黒塗りの車に乗っている方々こそが、貧に落ち切って、「水を飲めば水の味がする」、という有難味を噛みしめるべきであると思いますが
激しく同意します。でも信者の献金をたった数分の花火できれいさっぱり使い果たすような金銭感覚の人たちですからね。。。
 

おかしくなる節目について

 投稿者:つとめ場所  投稿日:2017年11月 5日(日)14時59分38秒
返信・引用
  一文字さん

いつも熱心な研究とその成果の書き込みは本当に頭が下がります。

今回の「天理教団がおかしくなる節目」についてですが、個人的意見としては『明治教典の発行』が大きなポイントだと思います。
ご存知のように明治教典は第一章に『尊皇の章』があり、大筋では、天皇の祖先が日本の国を作ったのだからその子孫である天皇に忠誠を誓い、資産も生産物も身体も全てを捧げて天皇のために尽くすことが信者の『つとめ』である、というようなことが書いてあります。
明治政府が推し進める天皇を神とする国家神道の教義をそのまま取り入れた内容であり、明治教典発行以前に伝えられていたであろう『みかぐらうた』や『おふでさき』の話や教えが全て吹っ飛んでしまうような内容です。
しかも、写本や口頭での布教ではなく、製本された教典として誰でも読めるし、ブレる事がありません。

当時の国際情勢においても、西欧列強の植民地政策がほぼ全世界に行き渡って互いの利権や植民地を奪い合う戦争が頻発する状況の中では、日本も国全体を一つにまとめて事に当たる必要があったのは間違いないところでしょうが、皮肉にもそういった状況と応法の理という『最大の欺瞞』が一致して『中山みきさんの教えを消滅させてしまった』出来事なのではないかと考えます。

そんな状態が終戦までの2~3世代、代替わりするまで続き、その間に自らの私腹を肥やし利権を手に入れた上層部の人間たちが、戦後に『復元』などと言われても何ら協力も進展もさせずにいたのは当然なのかもしれません。

 

Re:

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年11月 5日(日)12時57分2秒
返信・引用
  はぐれ雲さん

 教会で生まれ育ち、苦労されてきたのですね。私の系統にも末端の同じように苦労してきた教会の子弟がいます。
大教会青年から逃れようと逃げて行った人もいれば、長男で覚悟を決めて後継者となった人もいます。何が正しいこと
なのか、いまだに私もわかりません。わからないからいろいろ調べたりしています。

 教会長といっても多種多様で金儲けに走り、警察沙汰になって罷免になった人もいれば、愚直に信仰を求めている人も
います。或いは教会をしながら、保育園とか施設を経営したり、社会に貢献しようとしている会長さんもいる
ようです。自分が選んだ道で自分の人生ですから他人にとやかく言われることもないのかも知れませんが、教会を捨て
お道を離れ仕事一途に走るにしろ、道一条になると腹をくくり、教会を後継するにしろ、神は平等に働いてくれるものと
私は信じています。

 ただ道を求めた場合、勉強するにはあまりに資料が偏っているように思います。真実はあっても、正しく伝わっている
とも思えません。ピラミッド体制である以上、下の方の者が勉強して上にたてつく様になっては組織が成り立たなくなって
しまいます。だから「理の親」などという勝手な解釈や理の上で親の言うことは絶対だというように従わなければならない
ようなことも起こってくるのだと思います。

 軍隊も同じ理屈で上官の命令が合っていようが間違っていようが従わなければ袋叩きにされます。研究を重ね、戦争は
よくないとか人を殺しちゃいけないと言っても上官の命令に逆らうことはできません。国家神道でバラバラだった日本を
統一し、富国強兵の道を進むためには天理教をはじめとする新興宗教は邪魔以外の何ものでもなかったのかと思います。

 それが当たり前の時代に教祖は人は皆平等で正しく生きる道を説いてきたのでしょうが、周りの人間、特に学識のあった
人は教えは素晴らしいと信じながらも、時代の情勢を考え、応法に走っていったのかとも思います。戦争も終わり平和な
時代が来て、自由に信仰もできる時代になっても、それと反比例するように信仰の火はだんだん消えていったようにも
感じます。

>宗教団体の中に、神様はいないよ。

 仰るとおりなのかと私も思います。でも目に見えなくても、教えを守り、困っている人がいたら助け、寄り添い、やさしい
心遣いで日々を通って自分に与えられた徳分を活かして、見えないところで人のことを思い、働いていれば人は見捨てても
神は受け取るものだと私は思って過ごしています。花火やレーザービームで浮かれているところに神はいないと思います。

 自分は天理教が嫌いで一度離れた身ですが、神によってまた引き寄せられたと自覚しているので、それならその道を通って
やると、この30年過ごしてきました。貧乏には慣れてますし、金がない分、工夫する知恵は授かっているようなので、嫌な
思いもたくさんしてきたのでしょうが、今となってはそれも自分にとっての肥やしだったんだと思えます。だからこそ、
インターネットで自由に談じ合える環境を神が与えたのだから、書き込んでいます。教えに不純なものは混じっていないか、
人に伝えるにふさわしいものなのか、自分で見極めていきたいと今は思っています。

仰るようにいろいろな人が書き込んで、それぞれのいろいろなお話を聞かせてもらいたいとも思っています。

ichimonji8810@excite.co.jp
 

これが宗教団体のやることか

 投稿者:カンロ飴  投稿日:2017年11月 5日(日)10時04分50秒
返信・引用
   東風Z様の天理高2部時代のお辛い経験は、読んでいて胸が痛みました。若い時は食べ盛り、お腹の空くのは、ほんとに辛かったでしょう。 水を飲めば水の味がするとは言え、水を飲んで空腹がおさまるわけではなし。
 人は空腹状態が続けば、正常な思考すらできなくなります。贅沢な食事でなくても、充分にお腹が満たされてこそ、人間らしい生活ができるものと思います。神様は人間が空腹に泣いている様子を見て、「慎ましい生活をしている」と、お喜びくださってるでしょうか?水を飲めば水の味がする、と言う感謝の境地も、数日間が限度。何か月も何年も、という状態は、決して幸せな生活とは言えません。地獄のようにも感じると思います。
 たまに美味しいものでも食べ、季節の旬のものに舌鼓を打って楽しむことこそ、神様はお喜び下さると思います。美味しいものも、旬のものも、神様が創って下さったのですから。

「水を飲めば水の味がする 」
「貧に落ち切れ 」

 この2つの言葉は、天理教信者であれば、全ての人に刷り込まれます。決して贅沢では無い余裕のある生活でさえ、何か悪いことのように思い込まされる。そして、お供えの要求。
教団の、信者から徹底的に搾り取とうという、非人間的な意図すら感じて、嫌悪感を感じます。

 黒塗りの車に乗っている方々こそが、貧に落ち切って、「水を飲めば水の味がする」、という有難味を噛みしめるべきであると思いますが、そのようなことは微塵も頭に浮かんでこないのでしょうね。信者にはしょっちゅう言ってるが・・。
 

(無題)

 投稿者:通りすがりの人  投稿日:2017年11月 5日(日)07時47分51秒
返信・引用
  >今から100年後くらいあとにおぢばの様子がどのように変わっているのかと考えずにはいられません。朽ち果てたやかたが残っているのか、重要文化財にでもなっているのか、国々ところどころでかんろだいの雛形を囲んでおつとめが勤められるようになっているのか、想像もできません。

生駒に行くとあったりしますよ。一時期はそれなりにはやっていた新興宗教が、教祖の死後はみんないなくなって廃墟になっているなんてのが。

余談ですが、創価学会を破門した日蓮正宗、今はお山に参詣する人もまばらになり日蓮「小」宗です。学会員の献金で建てた正本堂も取り壊され、かなり寂しいものになっています。土産物屋が集まっていたエリアも、おやさと通りと同じで見事なシャッター通りです。
 

(無題)

 投稿者:通りすがりの人  投稿日:2017年11月 5日(日)07時35分13秒
返信・引用
  >「貧しい人たちは幸いです。神の王国はあなた方のものだからです」
「今飢えているあなた方は幸いです。あなた方は満たされるからです」

マタイによる福音書ですね。釜ヶ崎と福音(岩波書店)の著者の本田哲郎神父は、この箇所をこんなふうに翻訳し解説しています。

心底貧しい人たちは神からの力がある。天の国はその人たちのものである。
死別の哀(かな)しみにある人は神からの力がある。その人は慰めを得る。
抑圧にめげない人は神からの力がある。その人は地を受けつぐ。

「心の貧しい」ということは、その表現自体がまずい。心が豊かなのがいいに決まっている。どんな子どもに聞いてもわかる。だけども聖書の言語を直訳したらそうなるから、ということで、「心の貧しい人は」、しかもそれは「幸いだ」って。「貧しくて良かったね」と言っているふうに聞こえますよね。だけど釜ヶ崎に来て、仕事もなくて、寝場所もなくて、今日食べるものもなくて、炊き出しに並ぶしかない。その炊き出しも今日は雨が降ってないみたい。そんなおろおろしている人たちが貧しさを幸せだと感じたことは一度もないし、そんな現実に合わないことを、イエスがほんとに言ったの?という、そういう思いからチェックをいれたわけですよ。そうしたら貧しい人というのは、ヘブライ語まで遡ってみると、「アナヴィム」。「アナーヴ」というのは、「抑圧する」という意味なんですよね。だから「アナヴィム」というのは「抑圧された人たち」。その抑圧された人たちが、霊の側面からも、という意味で、ほんとにとことん貧しくされているということをヘブライ的な表現として語っているだけの話ですね。それを直訳したら意味が違ってしまう日本語の感覚、あるいはヨーロッパ語の感覚で言えば、「心底、あるいはとことん貧しくされている人たちは、神からの力いっぱい持っているよ」と、イエスはメッセージで言っているんだ。「あんた貧しくされているがゆえに、凄いパワーを持っている筈だよ。真実を見抜いている筈だよ」って、そういうことですよ。そして、「天の国はその人たちのものである」という。「神に繋がる世界はまずあんたたちがその当事者なんだよ」という。誰かに手を引いていってもらって、この宗教に入って、そして「神様と繋がろうね」じゃなくって、「あんたたち貧しく小さくされているが故に、文句なしに今のあなたたちの感性は神様の感性と同じだよ。心配しないでよ。もう天の国はあんたたちのものなんだ」それが第一声なんですよ。それは、「貧しいままでいましょうね」と言っているんじゃなくて、「貧しくされているがゆえに、どうなりたいか。誰よりもわかっているよね。そこを目指していこう。そしてそれのために、みんなに、他の人に呼び掛けようよ。それが実現できるようにみんなで協力し合おうよ」という。その立ち上がりを促す言葉なんです。
 

中山きんにくん?

 投稿者:RO  投稿日:2017年11月 5日(日)05時15分28秒
返信・引用
  お地場は天啓の受け皿なんでしょうし、神一条という意味もまたそういった意味なんでしょう。
道具衆の魂が磨かれず、お地場に天啓が中断してしまったのは、その意味そのものを封殺してきたからなんでしょう。
茨木、大西、井出、その他諸々の、啓示系、霊能者系分派の中に魂の進化の最高峰があるのではないかと思います。
そろそろ中山天理教は、その方々に学ぶ時期が来ているんでしょう。お地場に神が天下って180年になりました。お地場の責任者たる中山ご一統様もそろそろ支配欲を離れて、世を救い人をたすける心をもって下さい。
 

おかしくなる節目

 投稿者:一文字隼人  投稿日:2017年11月 4日(土)21時42分21秒
返信・引用
   タイトル通りのことを知りたくて、いろいろ調べていますが、大きな節目がいくつかあるのだろうと感じます。
一つは教祖が現身を隠す明治20年、そしてもう一つは本席が出直す明治40年、その次は初代真柱が出直す大正3年、その次は
二代真柱が本格的に実動し始める昭和元年。私の中ではこれらが大きな節であり、転換点だと思っています。

1887年 明治20年 教祖が現身を隠すことによって混乱、そして本席と初代真柱体制ができるが、
         けっしてうまくは機能していなかった。大工出身の本席と中山家とで確執がある
         状態で運営。本席に神憑りがある以上、皆、伺いを立てておさしづをあおぐ形式が
         確立し、明治40年までその体制は続く。

1907年 明治40年 本席出直し以降、後継としてナライトがおさづけを渡す体制になる。初代真柱は
          この時点で42歳であるが、本席はナライトを後継にしたために、真柱一頭体制には
          ならず。その後初代真柱は明治41年に一派独立を果たし天理教教会本部を設立した。
          しかしその6年後49歳の若さで出直す。

1914年 大正3年 初代真柱出直し。中山家としては天啓者と教団代表である真柱の二頭体制を
         真柱一人に集約するようにするため、幼少の正善に代り、梶本ひさと結婚した山澤為造
         が摂政役になり、初代真柱出直し後、大正14年二代真柱が管長に就任までの約10年間
         山澤為造が本部の中心となる。井手クニが大正5年教祖30年祭に教祖殿に現れるのも
         この頃。井出クニは信者も作らず播州で人助けに励み昭和22年85歳まで生きる。

1936年 昭和元年 教祖40年祭 二代真柱管長就任後、東京帝国大学入学し、ここから真柱一頭体制
          確立し、帝国大学姉崎教授の指導も受けながら、現在に近い体制を築き上げていく。
          この時期に松村吉太郎も増野鼓雪も重要な職から外され、東京帝国大学の宗教学の
          影響を多分に受けた教義などが色濃くなる。鼓雪は明治大学出身で東大の学閥が教内
          にもあったと伺われる。昭和3年二代真柱はせつ夫人と結婚、昭和4年に八島英雄が
          生まれる。昭和7年三代真柱善衛が生まれる。

 ざっと流れを書いてみましたが、三つ目の節の頃が天理教で一番、異端や分派が増えた頃だと思われます。教祖の教え
とは逸脱していると感じた人が多かったのではないかと思えます。それに対処する意味でも二代真柱の中央集権体制を
早く整えたかった
のかとも私は推測しています。

 天理教に限らず、幕末から興ってきた新興宗教は国家神道、明治政府との関わりなしには語れないほど弾圧や迫害は
厳しかったと思います。そんな時代に教祖の教えは政府にとっても都合の悪いものであったでしょうし、教義を変えて
まで国に合わせなければならなかった悲しい歴史もあると思います。しかし、第二次大戦後に復元と言いながら、復元とは
言いがたいもので多くの古参の信者には違和感のあるものだったと思います。皇室や政治家にもつながりを持ち、絶対君主
としての立場で自分が考えたことがすなわち神の思いだと錯覚してたのではないかとも思えます。親身に話せる友達も
いなかったでしょうし、孤独だったと思います。

 二代真柱の東大同輩の建築家・内田祥三と奥村音造らと「おやさとやかた構想」を打ち上げ、立派なやかたを建て始め
たり、高校、大学、病院とどんどん政策を進め、スポーツなど文化面でも活躍したようだが、結局それも教祖80年祭を
境に翌年の昭和42年63歳で出直すことになってしまいます。二代真柱50年祭ということで教内では功績を称えるような
動きですが、医療、教育の面でそれを充実させようとしたことはよかったのかもしれません。しかし、それは多くの信者
から集めた金を運用し、注ぎ込んでできたものであり、果たして教祖の目にかなったものであったのかどうかは今の教団の
様子を見ると何とも言えません。

 今から100年後くらいあとにおぢばの様子がどのように変わっているのかと考えずにはいられません。朽ち果てたやかたが
残っているのか、重要文化財にでもなっているのか、国々ところどころでかんろだいの雛形を囲んでおつとめが勤められる
ようになっているのか、想像もできません。

 私の勝手な悟りですが、神はそんなことにはおかまいなしで、今も本当に教祖が伝えた教えを心に修め、実践している人
には分け隔てなく不思議なご守護を見せてくださっているように思います
。掲示板などネット上には不平、不満があふれ
かえっていますが、おかしいと思うならやめればいいですし、やめたくてもやめられないというなら覚悟を決めて逃げれば
いいとも思います。ただ、人が人として生きていく上でこの道の教えは間違ったものではないと思うので、それは捨てないで
生きていってほしいものだとも思っています。かりものである体を借りて、この世に生きているのなら、大事に使わせて
もらい、自分に備わっている能力を存分に活かして、人のためにもなり、自分も喜べ、最後に体をお返しする時にいい人生
だったという生き方をした方が教祖も喜ばれるのではないか
とも思っています。
 

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